イダヒロの考え :各論概略

主流秩序論関係/労働・貧困・労働関係/
フェミニズム―シングル単位―ダイバーシティ系(スピリチュアリティ)/
DVと虐待/
政治、戦争、社会運動 (ロシアのウクライナ侵攻に関して、含む)
その他/
映画ドラマ/
著書/編著/論文など

“主流秩序論関係”


 

主流秩序論: 

伊田によると、主流秩序とは「人々を取り込み縛っている価値と規範の序列体系であり、この価値の序列に沿って、勝ち組(上位で幸福)や負け組(下位で不孝)として、ひとが偏差値的に配置されている構造」 である。
簡単に言えば、「お金があるほうがいいといった、皆が信じ込んでいる『こうすれば幸せ』という世間の価値観」、「これが幸せだよ、勝ち組だよという価値観で人を順位付けしたもの」といったもの。それにそって、ひとが偏差値的に配置され、上位に行くのが幸せだと思い込んで競争している、そういう社会の意識と制度の全体が、主流秩序である。 
主流秩序の中には、「どの程度の金を持っているかの秩序」「学歴の秩序」、仕事ができるかどうかの「能力主義の秩序」「コミュニケーションがうまい程度の秩序」「女らしい/男らしい人が上というジェンダー秩序、美の秩序などいろいろあって、そうした各々の「サブ秩序」が寄り集まって「太い縄」になっているものが「社会全体の主流秩序」である。 

神、国家、資本、学歴、外見が良いことが良いという意識、などは共同幻想という共通性がある。それが絶対的なものでなく、我々の上位にあるものでもないと認識すべきであること、それらに過剰に支配されるなという視点を持つのが主流秩序論である。 

この主流秩序へのスタンスとして、伊田は、各人に、この主流秩序についてどうおもうのか、どういうスタンスで対応するのか、加担か抵抗かなど4つの道を提示して考えてもらう問いを投げかけている。伊田は、主流秩序への加担を批判する。傍観者を批判する。主流秩序への多様な戦い方(スーパーヒーローでなくてもできる間接介入)を伝えて、多くの人が主流秩序への従属から離脱することに希望を見出す立場。そこから導かれる実践的ヒント集として、『こんなひどい社会の中で、それでもちゃんと生きていく方法――主流秩序論2冊のエッセンス+学生さんの自己洞察』(電子書籍2016年1月、増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍 2020年5月)がある。 

主流秩序論については、その原型はスピシン主義提示(2000年前後)のときからあったが、明確にこの概念を世間に表明していったのは2012年ごろからであった。その考えを最初に体系的にまとめたものが伊田著『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』(アットワークス、2015年)である。 


生きづらさと主流秩序、いかに生きるかと主流秩序 :

伊田は、「いきづらさ」「こんなひどい社会で自分はいかに生きるか」を主流秩序論とつなげて展開している。その初期のものが「「恋愛と顔」=「カップル単位・ジェンダー秩序」に執着していたことの不幸――秋葉原事件の検討から」(『季刊セクシュアリティ』41号2009年春) 

関連: 簡単に語る「金のために働く」「組織人だから」 [2]
          2015-12-21 むのたけじさんのことば [1]


 

態度価値: 

フランクルの態度価値論に強く共感。『閉塞社会の秘密』でこの概念を入れて、主流秩序論を展開. 

関連: 「大江千里「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。」[3] 


職場などの不正に対するスタンス :

モリカケ問題のように、情報や統計や検査の数字の加工、文書の隠蔽・破棄、労災隠し、パワハラやセクハラや暴力があったのに加害者はそのままで被害者が組織から追い出された、不正なわいろを出している、インサイダー取引、非正規差別、上司のまちがった指示など、組織での不正はしばしば起こっているが、それに、声を上げない人を、主流秩序の観点から伊田は批判する。 

自分個人に出来ることはないとか、組織人だからとか、家族を養わないといけないからとか、外部に内部告発(公益通報)したりしたら「会社の恥を外部に知らせた」と報復があるからとか、『自分だけ正義ぶるな』という批判が来るからとかそうした言い訳で思考停止することを批判する立場。 

参考:首相よ、妻とお前の仲間の右翼が無茶をして、そのために官僚が犯罪をせざるを得なくなったんだよ [4] 

 


勇気を持って動く人 :

主流秩序に従属する人がいる中で、いざというときにさっとできることをした人がいる。勇気をもって立ち向かった人、動いた人は実はたくさんいる。伊田はそうした事例を講義でも紹介し、日ごろから考えておくことの重要性を訴えている。 

新幹線内無差別攻撃事件 助けに入った人がいたという希望 [5] 

 

主流秩序に加担するメディア、それでも戦う一部メディア人 :

伊田は、メディアでは、政権べったりの人や右翼言論人はよく出されるが、左翼的な人、政権批判的な人はほんの少ししか出ないと指摘。韓国、北朝鮮、中国を過剰に批判するナショナリスティックな偏向報道にも批判的(伊田著『閉塞社会の秘密』内でメディア論展開)。関西では「維新」が過大に評価されるのはメディアが無批判に持ち上げるからとみている。 

そんな中、伊田はまともなジャーナリストを支持する。NHKの自民党政権に近すぎる姿勢(岩田解説委員は典型)には批判的だが、NHKの中にもいい番組があると評価。 

関連のネット記事: 

MBSの斎加さんが「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」で、ギャラクシー賞を受賞 [6] 

西岡力、櫻井よしこをメディアに出すのはおかしい [7] 

高須さんが右翼言論人であることは明らかなのに [8] 

[放送を語る会]のN国党批判[9] 

映画『教育と愛国』[10] 

 

 

主流秩序に対する自分の生き方 : 大学・正規教員退職: 
退職に対して、ええかっこしているとか、宝くじでも当たったのかとか揶揄・批判されたこともあるが、基本は、忙しすぎることや主流秩序への加担性など自分の生き方を考えた結果の行動であった。退職した当時には、なかなか理解されないのが分かっていたので、自分の本当の考えはほとんど言わなかった。文章としては、伊田著「私は大学組織・学者世界に「就社」したかったのではない―――私はどこで何を模索しているのか(僕が大学を辞めたわけ)」『季刊ピープルズ・プラン』第43号(2008年夏号)に書かれている。またより大きく自分の生き方を振り返って考察した点については、伊田著『主流秩序社会の実態と対抗―――続・閉塞社会の秘密』(Kindle、オンデマンド印刷書籍 2020年6月、電子書籍3分割版2015年12月)の第一部に詳しい。  

 

反・承認欲求 :

伊田は、主流秩序の上位ということで多数・世間に承認されたいとする「承認欲求」を批判する。他者に承認されることが唯一・最大の基準になることのおかしさを意識し、基本は自分の軸で自分を評価する生き方を提唱。個のスタンスから承認欲しさのSNSへの依存からの脱出の方向を提唱。自分が幸せならSNSに書く(=自慢する、うらやましがられたい、ほめられたい)必要はないよと伝える。 

 


反功利主義: 

「多数派の利益を重視しそのためには少数派の犠牲は仕方ない」とする功利主義的な考えに批判的スタンスをとる。(オメラスから歩み去る人のスタンス=主流秩序において少数でも自分の生き方(自分に恥じない正義)を重視する生き方) 


反能力主義・反エイブリズム: 

 主流秩序で評価される能力だけを評価するのでなく、多様な能力を対等に尊重するとともに、生まれつきの差異や病気・障害、運・不運もあるので、能力に多様な差異があることを上下優劣にしない考え方をとる。能力に応じて働くとともに、必要に応じて人間として必要なものが得られる方向を目指す。努力が必ず報われるわけではないので努力主義・競争至上主義も批判。主流秩序の批判、スロー系、ダイバーシティ、反功利主義と合わせて、もう少しゆっくり認め合い共存できる方向を目指すスタンス。 

関連 

メンタリストDaiGoの主張は、実は主流秩序の考え [12]

アニマルライツ、ヴィーガン:

主流秩序の中のサブ秩序の一つが「人間中心主義、動物劣等化秩序」ーー人間を上位に置き人間のためには動物の苦悩は仕方ないとする動物を劣等化する秩序(伊田著『閉塞社会の秘密』)と主張。アニマルライツ(動物の権利)、アニマルウェルフェア(動物の福祉)を尊重するスタンス。環境問題やアニマルライツや健康なども併せての意識的なベジタリアン、ヴィーガンというスタイルに賛成。大学講義でこの話をすると抵抗が強いが、ウルストンクラフトがいたころ、女性の人権に主張が笑われたことに関して、「女性の人権などと言い出したらそのうち動物の人権なども言うようになる」と笑われた話を紹介。時代により意識は変わり、アニマルライツも今や世界の潮流であると説明。固定観念に縛られず、世界の実情を知り、日本社会の主流秩序の中にとどまるなと紹介。ジェレミー・ベンサムの動物もまた快苦を配慮されるべき存在という主張に共感し、その後のスピーシージズム(種差別)への批判運動にも共感。動物を「自分と同じ仲間」とみなさず「劣等存在」とみる点で、障がい者差別、性的少数者差別、異民族差別、封建身分制度の身分差別、非正規労働者差別、「ブス」差別などとつながるとみる。「知能の低さ」を理由に動物には何そしてもいいと思う感覚は、子どもや老人や知的障害者差別、優生思想とつながるとみる。

ただし、伊田自身は、自分は緩やかなベジ指向程度しかできない、しかし、ヴィーガンを批判することに反対し、ヴィーガンを尊敬するというスタンスであると述べている。


 


市場原理、新自由主義、能力主義に批判的 :

市場原理や能力主義が労働者を直接には「男女の性別によってではなく、労働力に固有の能力によってのみ評価」するという見解に反対。新自由主義の実態を見ても分かるように単純化してとらえるべきでなく、資本主義はその都度現実の様々なものとハイブリッドに結びついて展開しているので統一論的にとらえて、市場原理や能力主義自体を常に警戒して対抗する具体策を提示することが重要というのが伊田の立場。具体的には、主流秩序を緩めるような諸実践としての反能力主義、新自由主義と対抗的な、市場原理を制限する社会民主主義的改革を支持。 

未来社会を今ここで先取りする生き方:

主流秩序に囚われている人が多い中で、主流秩序を揺るがしたり解体していくための実践は、今ここで、未来社会を先取りしていくことなのではないか。その文脈で、DVを学び非暴力な存在になっていくというようなことを大事にしたいと思っている。そうした運動や生き方のあり方を「予示的政治」(prefigurative politics)と言うと2022年、教えてもらった。「予示的政治」とは、オキュパイ・ウォール・ストリートのような、自分たちの望む社会や「あり方」を「今この場」で作ってしまおうとするムーブメントのことで、私はこの「予示的政治」という言葉は知らなかったが、この種の考え方や運動については、知っていて影響を受けたのでつながった。

「未来社会の先取りで生きる」ということは、暗黒社会化する中でスピシン主義で生きていくという文脈で1990年代から言っていて、松本哉の運動、反貧困運動などの活動などで、同種のもの感じてきた。そういう発想で生き方と社会運動をまとめたのが、2003年の「スピシン主義宣言」であり、2015年の『閉塞社会の秘密――主流秩序の社会』であった。

 


“労働、貧困、労働運動”

 

 

環境運動、脱成長・スロー(ダウンサイジング)系、ワークライフバランス: 

「大量生産、大量消費、大量資源破壊、大量廃棄物(ゴミ)排出」のシステムを批判するスタンス。経済成長主義(経済が成長しなければ、賃金も上がらないし雇用も増えない:安倍政権はその最たるもの)に反対し、人間らしく働ける短時間労働の中で環境問題も含めて、脱成長の持続可能な社会を志向する立場。ワークシェアと福祉や環境関係産業による雇用維持を目指す経済構造に転換していく指向。シングル単位でワークライフバランスを考えて行くことを主張。週休3日を広げることに賛成。グレタさんなど世界の環境活動家たちの運動に賛同するスタンス。SDGSを建前だけに終わらせない実質化が重要と考える。伊田著『これからのライフスタイル』(大月書店、2007年)は、短時間労働のスローな生活をイメージして提起。政府が進めたワークライフバランスを批判したものとして、伊田著「反貧困の視点から、お仕着せのワーク・ライフ・バランス論を斬る」(『職場の人権』09年5月/第58号)がある。 

 



労働運動: 

労働者は自分の労働条件改悪などに声を出していくことが必要(労働運動)と考える。労働組合の交渉や運動が重要ととらえる。非非正規労働者差別に反対。差別解消のために、同一価値労働同一賃金にしていくスタンス。そのためには年功賃金体制、正社員中心主義を解体することが重要、正社員の賃金水準が下がっても平等になるほうがいいという立場。安易に、「対立でなく、ともに連帯」という美辞麗句でごまかすことに反対。 

個人加盟ユニオン支持。「ユニオンぼちぼち」や「プレカリアートユニオン」などを高く評価。自分も組合員として関わる。一時は執行委員、副委員長など。大きくは労働運動重視。しかし現実的には、多くの労組が、企業に物申さず、むしろ加担した第二管理部になっている面を批判。主流秩序の上位に属して非正規労働者への差別解消に努力しない正社員中心主義、労働団体の利権主義に反対。政治的課題で組合員を引き回す赤色労働組合主義に反対。職場の民主主義を積み上げていくような熊沢誠のスタンスに賛同。竹中恵美子の女子労働論に賛同。吉村励の労働組合論に賛同。伊田著『主流秩序と労働―――高賃金、安定の正社員、結婚を目指すような労働運動ではなく』(kindle電子書籍、2017年8月発行、増補・オンデマンド印刷書籍&電子書籍2020年5月)に伊田の労働論がまとめられている。 

 

パート労働・非正規労働問題 :

年功賃金制度批判・家族単位批判と結び付けて、パート労働・非正規労働問題について解決策を提起し続けている。「日本のパート労働の特徴とその劣悪状況の原因分析:欧州との比較および家族単位批判アプローチの観点から」『大阪経大論集』49巻第5号1999年や『21隻労働論』など。大学の非正規教問題については、自分が正規職教員であることの立場から考察した「専任の立場から」(大学非常勤講師問題会議編『大学危機と非常勤講師運動』こうち書房2000年)がある。 

 

アンペイドワーク :

「私にとってのアンペイドワーク論」(姫岡とし子・池内靖子・岡野八代・中川成美編『労働のジェンダー化――性による労働の再編成』平凡社 所収2005年)で、アンペイドワークの議論の視点の拡大、豊かに生きることの検討を提起。 


感情労働: 
見えにくい労働負荷を可視化する感情労働への配慮も必要と考える立場。伊田著「対価を得ない形も含めて、ケアの保障をしよう―――「感情労働」の社会的評価としてのワーク・ライフ・バランス」(「感情労働のマネジメントの調査研究事業」報告書)「ケアの仕事をする人のケア ――感情労働を問いなおす」)がある。 

 

「職場の人権」活動: 

関西中心にもたれた「研究会・職場の人権」に賛同し、初期は世話人に所属。 

 

最低賃金: 

最低賃金を早急に2000円以上にすることを目指す。それによって年間1500時間労働で年収300万円位になるので決して高すぎるわけではないと主張。従来の賃金が家族単位で、家長(夫)の年功賃金に依存して、その補助でいい水準とされていたことを見直して個人単位の賃金体系にすることをめざす。伊田著『21正規労働論』で、家族単位に基づいた賃金であった年功賃金制度の解体を主張し、同一価値労働同一賃金に向けた改革案を提唱。 

労働者教育: 

皆に労働者の権利の教育や実践的に有効な情報提供がなされることが良いと考える。個人加盟ユニオンなど現実的な戦い方、対処の仕方、身の守り方の教育が欠如していると考えている。教育の中身としては、伊田著「すべての子どもたちに『労働者の権利』教育を」(労働教育センター刊『女も男も』117号2011年5月、特集「新しい『キャリア教育・職業教育』を創る」)に記されている。また教材としては伊田・ほか著『新版 <働く>ときの完全装備──15歳から学ぶ労働者の権利』(解放出版社、2016年)がある。 


均等法評価 :

伊田は、1985年の男女雇用機会均等法導入には反対の立場。その意味は非正規女性などジェンダー秩序の下の者の権利まで入れ込む努力をしてもっとましな雇用平等法的なものにするよう抵抗しつづけてそのうち成立させる、その意味で急がずともよかった、成立が遅れても良かったところを、運動を分断し安易な妥協で中途半端なものにした点で、現実の社会運動の視点が欠如した判断だったと思っているということ。 

しかし、擁護する人は、小さく生んで大きく育てればいい、ないよりはましと、あそこで成立させないとずっと成立が遅れると「常套句」を言って、正当化。しかし、下手なものを導入するとそれこそ、そこで、改革(成立)エネルギーは焼失し、支配層はこれで「国際的な体面が保てた」として、それ以上のましな改革をしないようになる。よくある話。どの運動でもよくある対立。具体策がなく、精神だけを書く「基本法」レベルでごまかすこともよく行われてきた。 

伊田は小さく生んで小さいままじゃないかと批判するスタンス。「均等法は現在から見れば、すべての働く女性にとって無ければ困る法律だったから、反対したのは間違いだったと総括する」のは、間違った議論とするのが伊田の立場。中途半端なもので妥協したことを批判せず、労働省官僚だった者たちをほめる感覚にも批判的。 

 

反貧困: 

反貧困運動、野宿者支援運動、生活保護制度改悪反対運動に賛成。各地の反貧困系のメーデーの動きに参加。松本哉などの勝ち組をめざさない運動に賛同。そうした流れの関係の一つとして、2011年 AIBO(大阪で市民活動応援プロジェクトAction  Incubation Box  Osaka)の活動に中心スタッフとして参加。約半年間 湯浅誠らと活動。集大成として2011年12月に「大阪ええじゃないか」フェスタを実施した。伊田は東京の反貧困フェスタに向けて、『反貧困企画・パンフ――DVと貧困のからみあいを暴く』2008年3月29日を作成し、「ジェンダーと貧困――DVを中心として 」(宇都宮健児・湯浅誠編『反貧困の学校――貧困をどう伝えるか、どう学ぶか』明石書店,2008年10月)でもその主張を示した。また反貧困運動の意義を「反貧困の視点から、お仕着せのワーク・ライフ・バランス論を斬る」(『職場の人権』09年5月/第58号)で示した。 

 

反・ベーシックインカム(BI): 

世界のBI追求運動の感覚には賛同する面はあるが、現実を考えて、基本的に伊田はBI論を進めることに反対のスタンス。日本では、生活保護制度等を権利として使いやすくする方向で既得権を守り拡大していく必要があるときに、安易に新自由主義者やリバタリアンも望むBI論の議論の展開にのってしまうことは、BI推進運動側の主観的願望とは裏腹に、結果的に、生活保護制度を解体し、生活保護水準などを切り下げるような福祉・社会保障破壊や「切り下げ」に手を貸すことになると考える。伊田の考えとして「ベーシック・インカムについて――生活保護制度の拡充型のベーシック・インカムへ」(『職場の人権』2010年5月/第64号)がある。 


スクウォット運動・貧困者の住居占拠選挙運動に賛同 :

オランダなどでの空いている建物に無断で入居する、スクウォット(Squatting, kraken)の精神と運動に賛同。空き家や土地を占拠するという行為を通じて、人間が必 要とするあらゆる空間を再分配する運動に賛同。それを行う「解放の神学」のスタンス賛同。 

「できることなら合法に、せねばならないなら不法にでも!」というアーティスト・金江 (きむ・がん)に共感。 


 「アリさんマークの引越社」を許さない :

伊田は、「アリさんマークの引越社」のある労働者が、プレカリアートユニオン加入後、シュレッダー係に配置転換されたり、懲戒解雇をされたり、誹謗中傷されたり「罪状ペーパー」を貼られたり、さまざまな嫌がらせを受けた事件で、労働側が勝利したことを喜ぶ立場。「アリさんマークの引越社」を絶対に使わない立場。 

関連:アリさんマークの引越社との労使紛争での合意内容 [28] 

“フェミニズムーシングル単位ーダイバーシティ 系”(スピリチュアリティ)

 

フェミニズム: 

伊田はフェミニストというと誤解されたり嫌われることが多いことに対して、積極的に自分は男性であるがフェミニストだと宣言。学生時代からフェミニズム、女性解放論に共鳴。しかし自分事としてとらえていくのは、シングル単位論に至る80年代の議論(小倉千賀子や上野千鶴子)に触発されて以降。マルクス主義フェミニズムやリベラルフェミ、ラジカルフェミなどに親和性あり。マルフェミでは、上野の二元論を批判する統一論的なマルフェミの立場。シングル単位論、スピシン主義、主流秩序・ジェンダー秩序観点などの独自のフェミニズムを展開している。シングル単位論を中心にして社民主義システムをめざす現実的なフェミであるべきと主張。たとえば「フェミニズム戦略としてのシングル単位論」『女性労働研究』39号(ドメス出版2001年)など。フェミの魅力を簡潔に説明したものとして「『フェミ嫌い』の論理あるいは気分・無意識に対する私の語り方」(『唯物論研究』93号、2005年夏、「性に向かい合う哲学」特集)、「フェミを見切っているつもりのあなたへ――フェミニズムの魅力」(『現代の理論』5号 2005年10月発行 )。1990年代から日本のフェミニズム業界において労働(経済)問題が弱いことを指摘し、年功賃金制度批判や非正規労働問題など労働問題も含んだ社会改革としてのフェミに変わることを提唱。その一つが「私の女性学教育の試行錯誤」「女性学に労働問題をどう位置づけるか」(『女性学教育ネットワーク95』1995年)であり、その後1998年の「21世紀労働労働論」となった。 

 

シングル単位論: 

社会の基本単位を家族(異性愛・男女二分法に基づく結合)とするのではなく、個人にするという考えや制度設計思想。
家族という「男女異性愛近代性別秩序を前提とした共同体的組織」を社会の基礎単位とし、それを作って当然、作らない奴は不利益があってもよいとすることの<無理>を自覚し、近代の性別秩序から離れた者/離れたい者もそうでない者も、とりあえずニュートラルに扱われるように、「多様性を前提とした個人」を社会の基礎単位にしようというのが、シングル単位論。

結婚しているかしていないかを社会(国家、行政、他者)が気にしないし差別しない状態。近代家族の諸特性が家族単位システムというまとめ方でとらえられるので、その稀代家族を規範として押し付ける状況を変革して多様な家族や生き方が尊重される方向を目指すということであり、その時の中核的思想が「家族単位からシングル単位へ」であるという考え。 

シングル単位については、社会システム・制度のあり方の話の面もあれば、社会的意識の面も、個人の生き方や考え方の面の話、DVやパワハラ・虐待などが起こらないようにするための人間関係の視点の話もある。短期的目標と中期的、長期的目標の話もある。その多層的な意味(以下の5つ)をを理解することが大事と主張。 

A:シングル単位という社会のシステム・制度として、社会民主主義にするはなし。具体的諸制度の制度設計の考え 

B;適切な人間関係の話 : 家族内での役割分担の乗り越え方、職場会社でのパワハラ・セクハラなどを防止するもの性暴力防止、バウンダリーの話 課題の分離、DVやストーカー防止、恋愛観・結婚観の変更、つまり様々な人間関係における、いい関係のコツとしてのシングル単位 

C:ジェンダーにとらわれない人(ジェンダーフリーに生きる人)という意味:ジェンダーの意識や構造を解体して自由に生きていく基礎の感覚としてのシングル,多様性ダイバーシティの社会にすることとジェンダー平等とは一体だが、その時の中心概念としてのシングル単位。異性愛男女二元制をこえてのジェンダー理解。LGBTQの問題を他者の問題としない視点としてのシングル単位。 

D: 将来、多数派/少数派の区分、男女区分などがなくなる(不要となる)中での個人のこと 

E: 主流秩序に対抗する生き方の人、スピシン主義的に生きる人という意味のシングル(今ロシアで戦争反対、反プーチンを言う人など、森友問題の赤城さんとか) 


親しいパートナー関係の否定ではないが結婚制度の批判ではあるとする。義援金や給付金が世帯主の口座に振り込まれることも家族単位の問題であるし、年功賃金も、非正規労働差別も、長時間労働も、福祉の貧困も、家事分担の不平等も、女性の低賃金も、ぜんぶ家族単位の問題であるが、そう理解していない人がまだまだ多いと感じている。ジェンダー問題の理解と解決に肝要な概念であるのに、そこを理解していない人が多いと一貫して主張している。 

シングル単位論について、最初の提起は、「カップル単位からシングル単位へ」(『情況』2巻10号、1991年)でなされた。簡単な説明の一つが、神原文子・他編『よくわかる現代家族』(ミネルヴァ書房2009年)の中の「シングル単位」の項目。初期の基本的な総合説明は、『性差別と資本制 ――シングル単位社会の提唱』(啓文社 1995)、『21世紀労働論 規制緩和へのジェンダー的対抗』(青木書店 1998)、『シングル単位の社会論―― ジェンダー・フリーな社会へ』(世界思想社 1998)、『シングル単位の恋愛・家族論 ――ジェンダー・フリーな関係へ』(世界思想社 1998)にあるが、そこさえ理解されていないことがほとんどであると伊田は考えている。
その後、シングル単位論も大きく展開していっている。ユニークな特集として「未来派シングル単位宣言」(およびQ&A)(『週刊金曜日』1999年9月3日号)がある。
 
関連: 「ジェンダーフリーとシングル単位論への疑問・批判を考える」『大阪経大論集』55巻第1号(04年5月) [1]   

「伊田広行さんに「シングル単位」で考える子育てについて聞きました」 [2]



スピリチュアル・シングル主義 :

シングル単位論が「強い個人による自立の論」とみられていることに対応して、そうではなく、社会的に支え合うシステムにおいて個人を基本単位とするものであることなどを示すために、シングル単位論にスピリチュアリティ概念を結合させたもの。「スピリチュアル・シングル――生き方と社会運動の新しい原理を求めて ――」(『大阪経大論集』50巻第1-3号1999年)で体系的に示し、その後、『スピリチュアル・シングル宣言 ーー生き方と社会運動の新しい原理を求めて」( 明石書店 2003)で整理した。その観点で、いかに生きるか、幸福とは何かを考察したものとして「幸福な生き方、充実した生き方について」(『大阪経大論集』55巻第2号2004年7月)。そうした生き方論をのちに主流秩序論としてまとめていくこととなる。

ジェンダー秩序 :

伊田は、ジェンダー問題に主流秩序の観点を取り入れる重要性を訴えてているが、いまだほとんど理解はされてない。(いつか、シングル単位、主流秩序論への理解は深まると確信しているが)
主流秩序の中のサブ秩序の一つである「ジェンダー秩序」とは、「異性愛で男女二分法、男/女らしくあるのがいいというジェンダーによる秩序」のことである。色々な内容があるが、例えば、世間の言う女らしさ、男らしさが強い(それをよいと思って追及している)ほど上位、旧来の性別役割をなぞっているほど上位、女/男らしさが少ないあるいは反逆しているほど下位といったものだ。また男らしく/女らしくてモテて恋愛できたり結婚できている方が上の秩序、結婚して標準的・典型的家族像にどれだけ近いかの秩序でもあり、正社員で働き結婚し、子どもがいるという、理想の家族像に近い人ほど上位、そこから外れている程度の大きい人(例えば、子どもなし結婚→正規職事実婚→非正規結婚→非正規事実婚→同棲→離婚→独身→性的マイノリティ)ほど下位といった序列のことである。つまりジェンダー秩序は、男らしさ/女らしさの序列・異性愛主義・男女二分法・家族単位、美の秩序、結婚秩序などほかのサブ秩序と絡まっている、ジェンダーに関係するサブ秩序の全体のことである。(伊田『閉塞社会の秘密』より) 

●日本社会ではこの「個人単位化」の意義がいまだほとんど理解されていない

家族単位社会の問題、シングル単位に根本変革することの意義(個人単位型社民主義の意義)が日本社会ではほとんど理解されていない。それどころか、自民党の改憲案では「家族を社会の基本単位とする」方向で家族単位を強化しようとしている。ジェンダーとダイバーシティの理解がいかに欠如しているかの表れ。

 

●現実的にはなかなか北欧型の個人単位社会にするのが困難

欧米では子どもは高校卒業後、家を出るのが普通。自立心が強い。女性もジェンダー平等に向けて意見を持つ人が多い、女性も働く。問題があれば社会運動で行動・抗議していく。政治はそれを受けて変化。

 

それに対して、日本は自立心が弱く、高校卒業後も親と同居が多く、カップル単位、ジェンダー意識が強い。昔ながらのイメージで、男性は古いジェンダー意識が多い、女性は依存的で、収入の高い男性と結婚したい、養われたい、守られたいと思っている(ひとがまだまだいる)。女性の低賃金や非正規、働きにくさが残っている。改革のために怒って団結して社会運動しない。政治は社会運動を受けて変わろうとはしない。

 

●関連問題 

自民党憲法改革案では家族単位を強化・・・ジェンダー平等の後退狙う

、この問題は、統一教会や日本会議など宗教右派などの右翼勢力のかかわりの問題や、日本社会のジェンダー構造にかかわる根深い問題。

朝日新聞記事「(憲法を考える)24条に「家族保護」を、その意図は」(2022年10月25日)の情報も使って、以下は、伊田のまとめ。
歴史的に保守・右派は、伝統的な家族を重視し、その意味で、家父長制的な古いジェンダー構造を温存しようとしてきた。その表現が「家族を社会の基本単位として、尊重していく」というもの。それを反映して、現在の自民党の憲法改正案は、個人の権利や両性の平等という条項を後退させて、「共同体・家族の重視」を強化しようとしている。

家族保護条項の創設案は、憲法の起草当時からあり、1950年代以降は保守派の主張として追及されてきた。そして2012年の自民党の憲法改正草案24条1項では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」と位置づけるところまでになった。「家族は、互いに助け合わなければならない」という文言も追加した。個人よりも国や家族を重視し、個人の尊重を弱める意味で、「家族を尊重」と言っている。

右派団体「日本会議」も、過去に家族保護条項を提案している。前身の「日本を守る国民会議」が1993年に発表した「新憲法の大綱」には、「国は国家・社会の存立の基盤である家族を尊重、保護、育成すべきことを明記する」とある。2014年に発足した関連団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」も、「国家・社会の基礎となる家族保護の規定」を掲げている。

安倍晋三元首相は、こうした右翼の動きの中心にいたが、その安倍氏のブレーン伊藤哲夫氏が代表の「日本政策研究センター」は、「緊急事態条項」「自衛隊の明記」「家族保護条項」の3点から憲法を改正することを提案していた。

 自民党は2004年にも、憲法改正プロジェクトチームの論点整理で「家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべき」と、24条改正を示唆した。女性団体などの反発を受け、条文変更は見送ったが、条文のタイトルを現行憲法の「家族関係における個人の尊厳と両性の平等」から「婚姻及び家族に関する基本原則」に変える案とした。

読売新聞社は、2004年の憲法改正試案で、家族は「社会の基礎として保護されなければならない」と明記。中曽根康弘元首相が設立した「世界平和研究所」も2005年1月の憲法改正試案で、「家庭は社会を構成する基本的な単位である」とした。

「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の友好団体「国際勝共連合」は、「緊急事態条項」「家族保護条項」「自衛隊の明記」の3点の憲法改正を訴えている。

このように右派勢力は長年、連携しあって、憲法の中に、家族重視、家族単位化、個人の権利後退を入れ込もうとしてきた。

 

「家族の保護」というと、社会権的な意味では人権擁護の意味になるが、自民党案に代表される家族保護条項はそうではなく、「天皇制と結びついた家族観に基づき、個人よりも国が上位で、国民はその国を支えるべき存在に位置付けられ、その国と個人の間に家族があって、そこでは異性愛での結婚や性別役割があることや子供を産むことなどが自然・当然視されるようなものとなっている。
つまり、結婚しない人や子供のいない人、LGBTQなどの存在を軽視するものとなっている。それを一言でまとめると、個人を社会の単位とするのではなく、社会の単位は異性愛結婚によってできて子供もいる「伝統的家族である」というものである。
「単位」とは最小のものであるので、異性愛結婚し子供を持つのが「正しい」「理想」「自然」と押し付けることができると考えるところに、ジェンダー平等・ダイバーシティの時代の感覚に逆行した復古主義の特徴がある。 

 

美の秩序、「ブスと美人」問題 :

伊田は、ブスで笑う問題、美人をほめる問題、ダイエット・化粧・整形問題、ルッキズム=美醜差別、年齢差別などつなげて深堀することで、ジェンダー秩序への囚われや加担を考えることを提起している。SNSで煽られる問題、コンプレックス商法の問題もかかわる。伊田が大学の講義で力を入れているこの問題について、紹介したものとして、「女性の人権――ジェンダーにかかわる人権」(『身近に考える人権』高井由起子編著、ミネルヴァ、2022年)や『はじめて学ぶ主流秩序論』(2018年)がある。 

日本のパンプス強制などを問題とする「#KuToo」運動、韓国での女性たちを縛る美の「コルセット」を脱ぎ捨てようという「脱コルセット」運動、ミスコン反対運動、キャンペーンガール見直しなどに賛同。整形や化粧・ダイエットを全否定するのでなく、個人のエンパワメントと主流秩序との絡みで評価する立場。女子アナや受付が若くて美人である必要はないとする立場。 

関連 美の秩序」に関する小島慶子さんの気合のこもった文章 [11] 


スピリチュアリティ :

伊田の言うスピリチュアリティ概念は独特である。特定宗教や神秘主義肯定の話ではなく、無神論者・唯物論者である伊田が大事にすべき価値として概念化した。シングル単位論を補う「エゴイズムを超えるひととひとのつながり」を示すもの。伊田は合理主義者であるが、近代合理主義の枠の限界も認識するので、近代合理主義の枠を超えての直感や感性・感情・自然を重視し、自己拡張意識を地球レベル・歴史レベルに大きくする傾向に賛成する。そうした感覚をスピリチュアリティという。近代合理主義の中で劣位に置かれていたものに、一定の価値を再発見することを示すために使われる概念。具体的には、主流秩序において上位に行くような「賢さ」でとはまったく異なったもので、「受験的お勉強」ができない人も持てる、連帯意識ややさしさの感性のこと。  

スピリチュアリティ的な感覚は「お天道様・神様が見ている」という言い方などを通じて昔からなされてきたが、それは特定宗教を信仰していなくても、自分の大事な基準によって自分を律する態度となって広くみられる。例えば私にとって、 「親がくれた愛情にかけて」「 たわ田先生など恩師にかけて 」「愛する人に恥ずかしくないように」「歴史的に戦ってきた人に恥じない生き方として」というような基準として、スピリチュアアルなものが存在する。それは別の人にとって、「自分の子供や先祖に恥ずかしくないように」という基準と同じ 。そういう基準がある人には、スピリチュアリティは理解しやすい。しかし、それがない人にはわかりにくいであろう。

人間の歴史において様々な言葉で、これに近い感覚が過去表現されてきた。例えば、「人の深い思い」「家族・国(ナショナリズム)を超えた世界の様々なものとのつながり」「動物も含め、命の輝きを感じる感性」「瞬間性に永遠を感じる力」「主流秩序に抵抗たり離れるときに大事にされる感覚」「主流秩序の不利(加担しない道)を選ぶ勇気」「強者(主流秩序)に抵抗する勇気」など。 

その他、「相手を深く信頼する感覚」「本当に心に響くもの」「ある人がそこにかけた歳月、時間、そういうものが見えない力になってかたまったもの」「とにかく優しい、その感覚」「その人自身のいちばん正直な価値観」「凛々しく、凛として生きる感覚」「『あなた自身であれ』という精神」「よく生きていこうとする感覚」「『行く言葉が美しくてこそ 返る言葉も美しい』と感じる美しさ感覚」「日常から見て遠く高い異次元的なところ」「ハイヤーパワーの感覚」「植民地支配をした側としてそれを恥じて償おうとする感覚」「無名で誠実に生きていこうとする姿勢」「お金や地位・名声の誘惑に負けない心根」「自分の何気ない言葉が相手を傷つけることに気づき自分の迂闊(うかつ)さに恥じ入る姿勢」「自分自身を深く見つめる感性」「長い時間をかけて醸成されて紡がれた言葉」「人が相手の痛みを自分事として感じる力」「ピンポンのような言葉の応酬と真逆の、丁寧に言葉を選んで出す姿勢」「他者とせわしなく表面的な薄っぺらい言葉を交わすことを恥じる姿勢」「心に響くもの」「主流秩序の上位に行くのではないようにその人を励ます姿勢」「人の良さを主流秩序とは別に見れる眼」「荒れ果てている社会で、そういうものに毒されないこと」「心の奥底のきれいなところ」 

「ちゃんと生きようとする人の、好き嫌い、へんと思う判断の軸」「自分自身の芯を正してくれる言葉が分かる感覚」「生きていくうえで何を大切にしているのかを意識した中心軸」「一人の個として立ち続けることを大事にする姿勢」「非暴力を貫く勇気」「ぱさぱさに乾いてゆく心に危機を感じて、潤いを取り戻しての感受性」「できあいの思想に倚りかからずに自分で考える力」「今の社会での生き方で、たかをくくず、なめてかからず、謙虚に生きる」「わかったうような背伸びした生き方をしない」「初々しさを大事にした生き方」「自分が偉くなったと思って、人を人とも思わなくなるようなことを恥じる意識」「人が堕落したことが見える感覚」「主流秩序に従属した人の堕落を感じる力」などともいえる。 

これは歴史的に、以下のような言葉として「たましい」が伝われてきたことと重なる。 

「魂のこもった一球」「魂に触れる言葉」「魂の感受性で味わうもの」「魂の殺人」など。 
 伊田はその著書「スピリチュアル・シングル宣言」内でのスピリチュアリティの定義の不十分さを認めつつ、同書およびそれ以外での様々な説明でつかもうとする「何か大事なサムシング・エルス」「誠実さや勇気や人の痛みを微細に感じる力」「主流秩序の上位を選ばない感性」などを、スピリチュアリティと呼ぶ以外に何と呼ぶのかと問いかけている。伊田も、誤解を受けやすい「スピリチュアリティ」という概念の採用について、危険な選択と認識しつつ、それでも歴史的に見て多くの人が近づいたものは、やはり「たましい」などと呼ばれることが多かったのではないかと主張。
また主流秩序的な状況に対して、個人の生き方や(行き詰まっている)社会運動を見直すときに、スピリチュアリティ感覚が大事ではないかという意味を含んで、この概念を主張した。「スピリチュアルシングル宣言」では基本的に、そうした点を記述している。 

参考:「〈スピリチュアリティ〉概念をめぐる一考察」(日本ホスピス・在宅ケア研究会・スピリチュアル部会編『スピリチュアルケアとスピリチュアリティ』(スピリチュアルケアテキスト第1集2003年)、「やむにやまれず動き出す、スピリチュアルな人」(『Volo(ウォロ)』2003年12月号)、「スピリチュアルに生きる人々①~⑧」(『大阪経大論集』54巻第5号~55巻6号 2004-2005年)などで具体的に示したもの。 

関連:「“弱者”の集団的な戦い」への感性と立場 [19]
 

スピリチュアリティの感覚を伝えるものとして本HPの以下のエッセーもある。
*レベッカ・ブラウン『体の贈り物』 

*「あなたになら言える秘密のこと」映画評
*  ドラマ評 田太一脚本「早春スケッチブック」 [1] 

*「緑豆の花」について ・・歴史の記憶(先人たちの闘いの歴史)を受け継ぐというスピリチュアリティ  韓国ドラマ『緑豆の花』について: 2021年4月30日「ソウルヨガ」ブログ 

「負ける戦いはしない」「結果がすべて」「保身が大事」ではなく、「勝てない側(敗ける側)にしか見えない景色」を人生に見るという話を書いている。 

 韓国ドラマ『緑豆の花』について: 2021年4月30日「ソウルヨガ」ブログ [1] 


スピリチュアル・ケア :

死ぬような病気や本当に苦しい絶望状況を前にして人に必要なことは、狭義の近代医療や浅いカウンセリングだけでなく、深い精神的なケア、スピリチュアルなレベルでのケアである。伊田はキリスト教や仏教者とともに、スピリチュアル・ケアについて議論し、その意義を主張している。「スピリチュアルケアをめぐる議論を見渡す」(『大阪経大論集』54巻第5号 2004年)、「スピリチュアルケアをめぐる論点」(日本ホスピス・在宅ケア研究会・スピリチュアル部会編『スピリチュアルケアの理解を深める』スピリチュアルケアテキスト第2)2004年)。 


ダイバーシティの基本理解 :

伊田は、ネットなどによくある、ダイバーシティとは多様な人材を積極的に活用しようというような、経営効果や生産性観点の考え方という理解を批判するスタンス。 

社会的マイノリティの権利の問題や主流秩序自体を問い直す水準にまで深めることを提唱。もともとは、アメリカにおいてマイノリティーや女性の積極的な採用、差別ない処遇を実現するために広がったもの。したがってダイバーシティにおいて、『反差別』という観点が骨抜きになるのは不十分と主張。ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity &Inclusion)も、組織(社会)が均質な状態(主流秩序が強いモノカルチャー状態)から、多様性を内包した状態、皆を包摂していく社会になること、これを主流秩序からの離脱ととらえるのが伊田のスタンス。主流秩序を温存し、無批判で、そこに仲間として入れてあげるというような「包摂」に反対。 

伊田が言う多様性は、男女二分法・異性愛などを前提とした主流秩序から皆が自由になること、自由に生きられること。序列、優劣、勝ち負け(上からこうしろ、こうあるべきという社会)でなく、横並びに違いを優劣なく認め合う。 100人100様の「性」という認識。ジェンダー・バイアス(性別に基づく固定観念)などの「アンコンシャス・バイアス」(無意識の偏見)に気づき、そこから離れること、その縛りから離れること。「アンコンシャス・バイアス」(主流秩序)などは、学んで意識しないと、「自覚できないために対処もむつかしい」もので、無意識に再生産してしまうもの。多様性はこうしたものを意識的に乗り越えていくことで得られるもの。「多様な困りごと」を「上」から見て指導者が全部分かっているわけではない。今の主流秩序に沿った社会の仕組みは多様な人が安心して暮らせるようにはなっていない。各個人・現場に様々な状況(多様な困りごと)があるので、当事者が参画して、そこから解決策を出していく必要がある。臨機応変な社会はそうした下(ボトム)からの声をすいあげていくシステムやポリシーがある社会。一つの軸で統制するようなもの、強いもの・多数派が「少数派、弱いもの」を支配・心配・包摂するのでなく、意識的に当事者各個人を尊重すること。「功利主義、多数決発想」からの離脱などが、ダイバーシティには大事。 

 

LGBTQ+、性の多様性 :

生物学的性、社会的性、性表現、性指向にくわえて、フェミや生別役割・結婚制度・カップル単位への考えなど「生き方・思想としての性」も含めて性を多層的に考える立場。男女二分法を批判する立場から百人百様の性があるとし、LGBTQのひとを特別としながら理解したり包摂したり権利を与えてあげるのではなく、性的多数派など本当はないとする立場。多数派が自分たちを多数派と思って普通・標準と思い、振り返ることなくLGBTQを理解することに反対。自分たちを普通と思い問い直さないこと自体を問い直すことが、LGBTQが突き付けている問題という理解の立場。 

男女2分類によって、連続的なものが明確に分断され区分分け(区別)され、区分で異種とされたものは別物(差異、異質性)とされる一方、区別されたときの同種のものは同質性が強調される。様々な属性をこの2種類に振り分けていき、男らしさ、女らしさができあがったが、この問題の克服は、ジェンダー秩序(異性愛主義・男女二分法、秩序の上位が幸せ) をこえるということ = 100人100様の「性」という意味でのダイバーシティ。 

その観点から伊田は講義で学生さんに「あなたは自分の「性」を大事にできているか、解放できているか」と問いかけている。なお歴史的過渡期には、主流秩序(権力格差構造)を解体するために、多数派・マジョリティ、所数派・マイノリティ概念は必要。 


少数派と多数派 :

伊田が大学の講義で示しているのは以下の考え。性的少数派、LGBTQなどというとらえ方は、大きく見て差別構造・ジェンダーの序列があるときに差別や格差別などを可視化するためには必要な概念と考える。特に少数派というのは、単に人数が少ないということではなく、今の社会の多数派(主流秩序上位者)が持っている特権を持てない、不利な集団という意味がある。だから名付けて問題にしている。したがって性的マイノリティ(少数派)」の意味は、ジェンダー秩序の下位(=不利)な人々という言うことも含意している。単に数が少ないなら超美人でも億万長者でも、超賢い天才でも少数派だが、そういう人は勝ち組なので「差別問題でいうところのマイノリティ、少数派、差別される側の人」ということではない。多数派というのは主流秩序の上位で標準となる人々で、相対的に多数であることが多いのでそういっているからで、ケース別には多数でないこともある。実際に超大金持ちは少数だが、差別・貧困問題では超金持ちは「多数派」の側。 

講義で多くの角度から学ぶように、性も含めて人間は多面的なので、交差性・インターセクショナリーでとらえると、ある面では多数派は、ある面では少数派ということがある。またそもそも、多数派の中にも少数派の中にも差異がある。同じ顔がないように、同じ人間はいないから、多数派を一色に塗りつぶして同質とみること自体が厳密には間違い。それは少数派も均質・同質とみるべきでないことを意味する。 

以上のことを考えると「多数派」というもの自体が将来的には解体していく概念。つまり、将来社会で、多様性がそのまま平等に尊重される社会では、この人は少数派だとか多数派だということが問題ではなくなり、皆が異なりながら共存することになる。 

「みんな違う、同じひとはだれひとりいない」、その意味で「多数派はいなくて皆が少数派」と理解することが必要であると同時に、現状に対しては「多数派/少数派というとらえ方」も必要ということ。理解のポイントは、多数派/少数派というのは単なる数のことを言っているのではなく、主流秩序・ジェンダー秩序という権力構造・上下構造の中での問題をあぶりだすために歴史的に必要な概念であるということ。 


少数派概念とダイバーシティと主流秩序とシングル単位 :

「多数派と少数派」やシングル単位の話、主流秩序の話などを上記ダイバーシティとあわせて理解することを伊田は提唱。伊田が講義で示しているのは以下のようなこと。 

多数派は自分が普通と思う。そしてそうでない人を例外としたり下に見て、かわいそうな対象とみて、仲間に入れてあげる(包摂)、助けてあげる、とみる。そのためにそうした「例外」だけに名前を付けるが、自分たち多数派には名前を特につけない。普通だから。しかしその姿勢自体がゆがんでいるというのが、伊田のダイバーシティの感覚である。異なる人が対等なのだから。すると、健常者が「自分と心身が異なる人を『障がい者』とよぶこと」「多数派が性的小数派をLGBTと呼ぶが自分のことを普通ということ」自体がおかしいとみる。それが主流秩序への気づき。自分をトランスでないならシスジェンダーということ。同性愛でないなら異性愛ということ。すると恋人がいる?というときに異性を前提に言わないこと。結婚しているとか子供がいるということを普通にしないために、必ず独身者がいるという前提で話すこと。恋愛欲求や性欲があるのが当然ではないので、アセクシャルの人の存在、新しい家族のようなものを考える必要がある。そういう感覚がない社会は、多数派による傲慢な「非・多様性の社会」である。だから異性愛家族を基本単位とする社会はおかしい。だからシングル単位の社会にすることが必要。これがジェンダー論であるが、そこを分かってない人が多い。 

過渡期には主流秩序・ジェンダー秩序にのっとる「上下・差別」を明確にするために、あるカテゴリーに名前を付けることは必要だが、差別をなくしていって真の平等・多様性の実現が見えてきたら、多数派と少数派の境目の非絶対性に気づき、「皆が違っている」ということで皆が少数派であり、したがって特別に一部だけを「障がい者」「LGBTQ」という必要はなくなる。こうした展望の中で言葉や概念を理解することが必要。 


社会民主主義・北欧社会 :

スウェーデン留学をふまえて、北欧の個人単位型社会民主主義がどのように確立され、制度は具体的どうなっているのかを整理したものが「スウェーデンの男女平等――その歴史、制度、課題」(『大阪経大論集』50巻第1-2号、1999年)、「スウェーデンはなぜ男女平等の社会になったか」(池内靖子・二宮周平・姫岡とし子・武田春子編著『21世紀のジェンダー論』晃洋書房所収、1999年)、「スウェーデンから学ぶもの――個人単位政策によって男女平等を達成した新福祉国家」(『女性労働研究』37号2000年1月)など。わかりやすく説明したものとして、伊田広行『いろんな国、いろんな生き方』(ジェンダーフリー絵本第5巻、石橋富士子・絵、大月書店、2001) 


ジェンダー・フリー・バッシング :

ジェンダーフリー概念と運動への攻撃が強くなった時代に、擁護の立場で主張。上野千鶴子などがジェンダーフリー概念を批判したことを批判した。まとめたものとして、「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題」(1)~(3)(大阪経済大学『人間科学研究』第1号2007年4月、第2号2008年3)、第3号2009年3月)、「ジェンダーフリーとシングル単位論への疑問・批判を考える」『大阪経大論集』55巻第1号(2004年5月)、「家族のあり方とジェンダー・フリー・バッシング」(木村涼子編『ジェンダー・フリー・トラブル―――バッシング現象を検証する』白澤社、05年12月発行)、「バックラッシュ状況とジェンダー概念」(女性労働問題研究会編『女性労働研究』NO50青木書店2006年7月)、 「攻撃的であることを見直す」「ジェンダーフリー・バッシングの言説」(ジェンダー・学び・プロジェクト編集『ジェンダーの視点から社会を見る』解放出版社、2006年10月)、「フェミニストの一部がどうしてジェンダーフリー概念を避けるのか」(若桑みどり・他編著『「ジェンダー」の危機を超える! 徹底討論!バックラッシュ』青弓社、2006年8月) など。 


ジェンダー秩序(主流秩序論)でジェンダー問題を考える意義 :

「女性 対 男性」で対立的にとらえる単純論が、フェミニズム VS アンチ・フェミで見られる。男性を敵視し、男性全部が差別加害者だというようにとらえての反発がある。しかし、ジェンダー平等を目指す議論を、ジェンダー秩序に囚われること自体の問題点の修正ととらえるならば、男性でも生きづらい人は、ジェンダー秩序の犠牲者だと理解できて、女性と連帯できると、伊田は主張。これは女性や男性を均質にみる見方の批判でもある。 

DVの原因としてジェンダーの指摘だけでは不十分であるのは「対等な性別分業で何が悪いのか。不満はない」と言われた時に説明しきれないからである。実態として統計的にジェンダー格差があるとか男性が上とか男性の特権意識などジェンダー意識に基づく酷い例があるからと、一定のことは現実を踏まえて言えるが、論理的に十分でなく説得性に欠ける面がある。 

これは、ジェンダー秩序の上位の人にとって有利なことがあるので論理的にはジェンダー意識や構造でDVや性差別を説明し、ジェンダー批判でDVをなくすということは言い切れないという問題につながる。「夫が家事育児などしないで勝手」というDVがあるが、妻が性別分業しても平気だ、それで満足という人にそれはDV被害だとは言えない。男性の特権意識に対しては女性の特権もあるという事実によって、DV説明として不十分である。たとえば、女性は夫に養ってもらえる(働かなくても経済的に保障される)、美しい女性は多くの利益を得られるなどということが女性の特権という場合もある。男性でもDVをしない人がいること、女性のDV加害者がいること、同性愛カップルでもDVがあることの説明も十分にはできない。 

こうしたことからことから女性でも男性でもジェンダーはいいものだと考える人がおり、フェミやDVの説明としては不十分である。女性でも、ジェンダー秩序上位者にとってジェンダーは不利益にならない。男性でもジェンダー秩序下位者は不利益になり、弱くなり、支配されやすくなる。 

それに対し二人で一つというカップル単位の考えになるとそこに個人の異なる自己決定の尊重(二人の考えが違うこと)があり得なくなるので問題だと論理的に説明できるメリットがある。カップル単位(一心同体)の場合、「ふたりでひとつとおもえて嬉しい、愛し愛されている感覚をもてる」という人がいるが、それはシングル単位でも可能である。カップル単位のマイナス面として「カップル二人の間には異なる意見が認められない」ということがあり、これは原理的に避けられないので、異なる意見の場合、話しあいで強い方の意見に合わせないといけないとなってDVの支配関係に原理的につながる。 

以上からジェンダーだけでは足りないこと、ジェンダー秩序の理解含め、カップル単位構造の批判としてのシングル単位の視点によって、DVでない関係の原理的なイメージが提起できる。シングル単位では「女性から男性への DV」「同性愛カップルのDV」 なども問題とできる。 

こうしたことから「女性学」も含め「ジェンダー論」として、特に「ジェンダー秩序」と「カップル単位/シングル単位」の観点まで含めて、大きく「性の問題」を捉えることが説得力を増す道である。 LGBTQへの差別問題も含めジェンダー秩序という理解で整理されるということの理解が広がることが、「男性弱者論」「フェミはなんでもかんでも男性を悪とみなす思想」「女性優遇思想」「男性は女性嫌悪を持っていると決めつける思想」など、フェミニズムへの低級な反発への対策ともなる。 

昔ながらの単純な、「今の社会は女性嫌悪だ、女性を下に見ている、男性は男性特権を捨ててない」「男性はホモソーシャル的に集まって女性を排除している」、というようなところだけでフェミニズムを止めることは、入門としてはありえるが、シングル単位やジェンダー秩序の指摘が明確にされない限り不十分である。 

結婚制度批判: 

結婚している者を優遇し、非婚者を差別する結婚制度を批判する。それは主流秩序・ジェンダー秩序の重要な一部とする。結婚制度にのる実践が主流秩序への加担性あることを指摘。一夫一婦制を絶対真理とはせずポリアモリーの生き方があるとみとめるが、しかし、傷つける権利はないとして現実的なバランスを主張。シングル単位に基づき各自の自己決定に基づく多様な関係がいいと思う一方、実際的にはだれかを傷つけることがダメと考えているので、現実的にはポリアモリーはむつかしい人が多いと考えている。実際には少数の人との深い関係を大事にすることになる。相手を傷つけないことと自由のバランスが大事。過去のウィキペディアでは伊田はポリアモリー主義者のように書かれていたが間違い。伊田著『「まだ結婚しないの?」に答える理論武装』(光文社新書2008年)では、様々な結婚圧力へのシングル単位論からの反論を載せている。また結婚制度に関しては、「結婚制度肯定論の批判的検討――望月嵩氏の伊田批判に対しての反論」(『大阪経大論集』54巻第4号 2003年)、「シングル単位視点からみえる「結婚」と「恋愛」『家族社会学研究』(第14巻2号2003年)などもある。 


エリート女性へのスタンス: 

「女性に関する政策実現のためにはフェミニスト官僚、ジェンダー研究者、女性運動家、政治家などの異なった立場の女性たちが連携することが必要なのに、「『エリート女性』に対する冷ややかな目」がそれを妨げていると批判する態度に対しては、伊田は、ジェンダー秩序に加担しているか否かで判断すべきととらえる立場。伊田は基本的に、勝ち組女性、エリート女性への批判は、主流秩序との関係で行われている限り重要と考える。もちろん、男性も、主流秩序の上位者への批判が大事。 

 

ジェンダー・家族関係の民法改正問題; 

戸籍制度の根本改革(戸籍廃止)を主張。選択的夫婦別姓制度導入に賛成。同性婚導入に賛成。離婚の破綻主義の実質化に賛成。男女の結婚可能年齢を統一することに賛成。女性に6カ月間の再婚を禁じた規定の廃止に賛成。離婚から300日以内だと前の夫の子供とする「嫡出推定」の規定を、離婚から300日以内でもDNA型鑑定などによって実の父親の子どもとできるように見直すことに(当面の改善として)賛成。無戸籍問題の解決に賛成。婚外子差別に反対。婚外子の遺産相続の取り分を結婚した男女の子の半分とした規定の見直し(平等化)に賛成。子に対する親の「懲戒権」の廃止に賛成。 


ミソジニー :

伊田は、ミソジニーを単に女嫌いととらえるのでなく、フェミ的な男の言いなりならない女性を嫌うことと理解する。したがってジェンダー秩序にそう女性を優遇することも「ミソジニー」ととらえる。フェミニズムは、男を批判する男嫌いの思想ではなく、ジェンダー秩序の解体を目指す理論・思想と運動という立場。だから主流秩序に違和感のある男性にとっても、解放論になりえる。「うるさい女が男をヘイト(不当攻撃)するのがフェミ」と思っている人が多いが、「ジェンダー秩序に抵抗しない女性でないと怒る」のがミソジニーととらえ、ジェンダー秩序にそって女子力高く、皆に評価されるような性をめざすのは、ミソジニーに加担しているとみている。 

 

中絶問題: 

女性が主体的に「産む・産まない」を選ぶ権利を保障すること(選択肢保障)として、中絶の権利の擁護に賛成。中絶手術方法の改善に賛成。飲む中絶薬の承認・保険適用化に賛成(すでに約80カ国で承認されている)。低用量ピルや緊急避妊薬の保適用化に賛成。 

 
 

セックスワーク論: 

セックスワークについては、職業選択の自由、労働者の権利を守るということを中心としてセックスワーク擁護の立場。しかし、主流秩序、ジェンダー秩序に加担する側面がある場合にはその側面には批判的。性的搾取には反対。売買春については当初「買売春問題への私の態度」(『女たちの21世紀』16号、1998年10月)を書いたが、その後「シングル単位で考える魂ふれあう性のあり方」(『週刊金曜日』2000年)で基本姿勢を修正して示し、その後「続・はじめて学ぶジェンダー論」でスタンスを表明。 

 

性教育 :

バックラッシュ派が性教育を攻撃したことに反対し、積極的な性教育に賛成。デートDV 防止教育は同時に性教育であると位置づけ。「主流秩序を意識した性教育へ」(『季刊セクシュアリティ』2021年 101号所収) 


性暴力・レイプ: 

現行の刑法規定を改正し、性的同意を基準に、刑法を根本改正することに賛成。スウェーデンの性行為同意法(2018年)のように、「積極的な同意(Yes)」を必要とするという性犯罪規定にすべきと考えている。暴行や脅迫、被害者の弱い立場を利用(上下関係や社会的地位)したなど「強要」はもはやレイプ成立の条件ではなく、自発的な参加であるかどうかがポイントとなるべきという考え。男女共同参画の中での位置づけからの整理として「性にかかわる暴力をなくしていくためには」(『部落解放』2016年6月号 特集 「ジェンダー平等の今」)。 


伊藤詩織さんの事件 :

伊藤さんは性暴力被害にあったがバッシングを受け続けている。伊田は伊藤さん側に立つスタンス。 

2017年5月東京地裁内の司法記者クラブで山口敬之(のりゆき)氏から受けた被害について顔と名前を明かして会見を行った時から、伊藤さんは在日、売名、ハニートラップ、枕営業……などとTwitterやまとめサイト、YouTubeといったSNSでデマや誹謗中傷の言葉を浴びせられ続けてきた。漫画家のはすみとしこ氏は、「米国じゃキャバ嬢だけど、私、ジャーナリストになりたいの!試しに大物記者と寝てみたわ。だけどあれから音沙汰なし 私にただ乗りして、これってレイプでしょ?」「『事実を書いたら売れないでしょう?だから私はこれを書きました』 マスコミの皆さんもやるでしょう? そうだ デッチあげよう!」 などと作品に書いた。それをみた多くの人が同調したり、リツイート(シェア、いいね!するなど含む)した。「伊藤詩織」「I.Shiori」、さらには隠語として使われた「オシリちゃん」「伊●詩織」「尹詩織」など、数十以上のワードで伊藤さん攻撃が行われた。 

伊田は、こうした攻撃に憤り、批判する立場。「どちらの言い分が正しいかわからないので片方にくみしない」とか、政治問題になっているといった傍観者的意見を言うスタンスを批判。
 

従軍「慰安婦」問題(日本軍性奴隷問題)

いわゆる「従軍慰安婦問題」(正しく言えば「日本軍性奴隷問題」、慰安婦は「日本軍性奴隷制度被害者」) について、伊田は、日本国内でまちがった認識が広がっていることに憤っている。強制性があったという立場。日本社会のこの問題への態度にスピリチュアルな人権感覚のなさが如実に現れているとみている。「女性のためのアジア平和国民基金」のやり方を当時から批判。日本の主要各新聞社はすべて基本的に国民基金支持であった。日本社会の主流は、本質的な謝罪を避けて、金で黙らせようとする姿勢を日本は一貫してとっている。真に日本の侵略を認め、それを繰り返さない様にしようということを心から相手に伝えようとしていないと伊田は言う。2002年5月に「女性国際戦犯法廷」の法律顧問などが川口外相に日本政府の賠償などを求める判決文を手渡したときに、外相は「女性の尊厳を傷つけた問題についてはアジア女性基金で対応している」と官僚的対応をとった。つまりそのように、国の責任を免罪する方便として利用されていた。

こうした国民基金への批判は、多くの点で、2015年の日韓合意の問題にも通じる。日韓合意は謝罪でなく、右翼等がこの問題を終わらせたいがために、そして慰安婦少女像を撤去させるために、日本がかかわらずに韓国政府にやらせようとする、正式な賠償を避けて金を出して終わらせようとした愚劣なものであった。

2020年に首相となった菅義偉は若いころ、右翼的な「歴史教育を考える若手議員の会」(会長・中川昭一、事務局長・安倍晋三、幹事長・衛藤晟一)のメンバーだった。その証拠が、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が編集した本『歴史教科書への疑問』(1997年、展転社)に残っている。当時の歴史教科書を「反日的」と断じ、従軍慰安婦問題の記述をなくそうと活動した自民党議員の集まりの記録で、菅義偉衆院議員は「勉強会を通じて(中略)有識者の皆さまの検証によって、「従軍慰安婦」の強制連行など実際にはなかったことが明らかになっているにもかかわらず、それが堂々と中学生の歴史教教科書に載っているのは、非常に問題であります。「従軍慰安婦」に軍が深く「関与」していた、という誤った情報を教科書に載せているだけでも問題です」などと述べている。

伊田の慰安婦問題への見解は伊田著『戦争に近づく時代の生き方について』の第3部に詳しい。そこにも掲載されているNHK番組への批判は以下。

NHK・クローズアップ現代+「“少女像”問題」のひどさを確認する―――全4回  [25]

関連:「韓国と日本の差は、人権意識、という点で大きく大きく、差が開いた。」慰安婦問題 北原みのりさんの意見紹介 [26]

 


 NHK番組改ざん問題:

女性国際戦犯法廷に関するNHKの番組が放送直前に安倍晋三などの介入で急遽改ざんされた問について、伊田はNHKを批判、抗議活動にも参加した。受信料不払いの形でも抵抗。「NHK番組改ざん問題の背後にあるもの――スピリチュアリティはどこに立ち現れるのか」(『情況』2005年4月号)

 

「帝国の慰安婦」をめぐっては批判側 

日韓で政治的社会的問題となった朴裕河『帝国の慰安婦』に対して、学者系の中には言論の自由などの観点から擁護する人が出たが、伊田は、現実の運動、当事者の側に立つかどうか、主流秩序へのスタンスなど総合観点から朴裕河氏を批判する立場。「帝国の慰安婦」擁護派を批判する前田朗氏の主張に賛成。 

伊田は、WAM, VAWW NET/RAC、松井やより、西野瑠美子、鈴木裕子、吉見義明、林博史、などのまともな研究や運動を重視するので、日本で、あまりにひどい慰安婦問題バッシングがある中で、朴裕河『帝国の慰安婦』の位置や意味を判断できないことを問題とするスタンス。 

 

DVと虐待

DV関係については本HPとは別に「DVに関するHP【伊田作成】」があります。

 DVに関するHP【伊田作成】 [1]



DV論・DV加害者更生プログラム
2000年代からは、伊田のジェンダー論においてDV論・デートDV、恋愛論の比重が高まった。大学だけでなく中学高校でも、デートDV防止教育を2006年ごろから頻繁に行ってきている。DVをジェンダー要因だけではなく、カップル単位/シングル単位の観点で説明し、非DV の関係の具体化に努力している。恋愛観・結婚観そのものにDVをもたらす要素があるとみて、シングル単位の恋愛観・結婚観に変更する必要性を主張(『デートDVと恋愛』大月書店 2010年)。
また2010年代に入ってアウェアの加害者プログラム研修を受けて、大坂で2014年から被害者支援充実の為の加害者プログラムを実施。ジェンダー視点/フェミニスト視点に加えて、家族システム論アプローチ、個人心理アプローチなども併用するスタンス。DV対策の欠如・欠陥を指摘して、改革案を2020年の伊田著『「DVと虐待」対策・改善提言2020』で提唱。

DV加害者プログラムについて伊田の考えをまとめたものとして、「脱暴力プログラムの受講命令を制度化すべき時代」(吹田市立男女共同参画センターデュオ編集発行『男性問題から見る男女共同参画――ジェンダー平等の実現と暴力・DV根絶に向けて(令和元年度 吹田市男女共同参画センター調査研究報告書)』2020年10月発行)がある。
またDV加害者プログラムを1年以上状受けて一定変容したとき以降、非外野と加害者両社にどのようにかかわるのがいいかについて降圧したものとして、 

『加害者プログラム実施における「加害者変容後の支援のあり方」について』(Kindle版電子書籍 2022年5月) がある。



DVと恋愛、嫉妬問題:
DVの原因をコミュニケーション問題やジェンダー問題だけに限定することに反対し、家族単位意識を問題にすべきことを提唱。近代家族、ロマンチックイデオロギーや母性イデオロギーとつながっている恋愛観・家族観・カップル観・結婚観自体を問題として、根元的に恋愛観・カップル観をシングル単位のものに変える必要があることを提唱。「嫉妬は社会的暴力でDvです」というような教育の仕方を批判し、なぜだめなのかを分かるように伝える手法を開発。別れについての常識も見直すよう提起し「別れに同意はいらない」という原則、別れ方の具体的方法の教育、身の守り方の教育を重視する。
関連:樹木希林と内田裕也の結婚生活の美化はおかしい [21]


デートDV・ストーカー予防教育:
シングル単位論をベースにしたDV予防教育の内容を著書や講演で提唱。多くの予防教育の実践を中学・高校・大学でおこなっている。『シングル単位思考法でわかる デートDV予防学』(かもがわ出版、2018年12月)、『シングル単位のデートDV防止教育を広げよう ―― デートDV予防学 No.2』(Kindle、2019年5月、電子書籍& オンデマンド印刷書籍)など。特に別れの教育については、「別れの教育の必要性」( ストーカー事案再発防止研究会編(京都府警) ストーカー事案再発防止研究会報告書」2017年11月)で展開。
  拙著紹介「あなたは大丈夫!? 意外と身近な「デートDV」危険度チェック&予防策」 [1]

虐待論(DVと虐待の一体的対応の提起):
実際の事件の反省から、2020年にDVと虐待を総合的にとらえての根本的な対策の改革を提起している。伊田著『「DVと虐待」対策・改善提言2020』で提唱。
同書はDV加害者プログラムの知見を虐待対策に入れ込むべきことを提起している。2019年1月に千葉県野田市で、妻にDVをしていた夫が、娘の小学4年生、心愛(みあ)さんを虐待し死亡させた事件の検討を中心に、虐待対応の大幅な改善の提起を行っている。「対応や認識に甘さがあった」「会おうとしたが会えなかった」「虐待関係者のDVへの理解促進が必要」などと言う定番の言い訳を批判し、「検証」で言われていることにおいても不足(踏み込み不足)が多くあると指摘。心愛さんの母親(受動的虐待加害者という定義)よりも責任あるものが誰なのかを特定し、そのうえで、伊田がDV加害者更生プログラムを行っている経験やジェンダーの観点を踏まえて、特に今後検討・実施されるべき重要な「DVと虐待」対応についての具体的改善策を提起。具体的には、母親と児相などへの空論的な一時的非難と、子どもを親から強制的に引き離す「介入・分離」に議論が行きがちであるが、児相と市町村と警察の役割割分担の見直し、グレーゾーン的家庭に対する早い段階からのかかわりの充実化、虐待予防としての家庭への支援、安全確認・実態把握失敗の克服策、分離した後の支援、再統合への支援、虐待概念の見直し、DV対策自体の見直し等の諸点において予算を投じ具体策を講じていくべきこと等を訴えている。
同書の特徴として、1:加害者プログラム導入に関する指摘をしていること、2:千葉県検証・政府の現時点での対策の不十分・不足点を指摘、3:その他独自主張――面会調査絶対実施のための改革案の提起、モンスターペアレント(モンペ)的な親への対処の研修、説明責任とは何かのつっこんだ考察、担当者任せにせず組織的対応を進めること、そのためにも「下」の担当者も上司も処罰することの重要性提起、「被害者支援・虐待する母親支援」における意識改革、「心中」表現批判、警察と児相と市町村の分担変更、各機関の全部の情報共有化、児童虐待の予防強化、DVと虐待のワンストップセンターの提起、DV対策自体の受動性への改革提起、被害者支援の充実のポイント提起、DV対策における県と市町村の連携不足、児相の保護解除や解除後対応にあたっては要対協の協議を必須とすること、厚労省指針の体罰の定義の問題点、職員の男性割合増加、児童福祉司増加ではだめであることーーその他さまざまな指摘を行っている。
なお最近の事件を伊田の観点でまとめたものが以下。
2020年4月、福岡県5歳餓死“ママ友”によるDV的支配・虐待事件 [22]
2022年岡山・西田真愛(まお)さん虐待死事件 [23]

「虐待にかかわった母親厳罰化」に反対:
東京都目黒区や千葉県野田市で、妻にDVをしていた夫による子供への虐待殺人事件があったが、警察も裁判でもメディアでも世間でも、母親批判があり、共犯だとして重罪が課されているが、伊田はDV被害者の側面を軽視していると批判する。虐待に加担した責任はあるが、それはDV支配ゆえに虐待に加担させられた「受動的虐待加害者」であるとし、そうなる前に調査し支援し助けられなかった行政の側の方により重い責任があるとする。児相、市町村・家庭児童相談、警察、学校保育所、保健所、病院などの連携的関わりの不足不作為の責任追及(処罰)が甘い中で、母親に重罪を課すのは不平等であるし再発防止にならないとする立場。『「DVと虐待」対策・改善提言2020』で伊田は詳しく主張。

「共依存」批判
伊田のシングル単位論は自立重視であり、共依存批判である。共依存を評価しようという見解への批判的な意見を書いたものとして、伊田著「自立概念の豊富化――依存の美化の危険性」立命館大学生存学研究センター 『立命館生存学研究』VOL.2(2019年3月)がある。
また共依存的な映画へのコメント 映 画『リービング・ラスベガス』批判 [24]

 
共同親権・面会交流・養育費について: 
伊田は北欧社会に親和的で、一般論・将来の方向として共同親権が原則であるべきと考えているが、日本の現状を踏まえて、単親親権から共同親権にしようという運動に対して、DV被害者の現実を踏まえて対応がいると考えている。離婚後の面会交流や養育費不払い男が多い問題についても同じ。右派・反フェミニズムの勢力による、共同親権要求運動には批判的なスタンス。これについて、伊田著『DVと虐待』に伊田の見解が掲載されている。その中で、朝日新聞・2017年9月21日に掲載された大森貴弘・常葉大学講師(憲法学)の共同親権についての意見を読んで驚いて、伊田が翌日に批判を書き、その後論争になった経緯をまとめたものが載っている。上記『DVと虐待』のなかに、「DVと面会交流――面会交流で子どもを殺した伊丹事件に関連させて」という原稿として再掲している。それは離婚したうえでの父親の面会交流での子ども殺人事件(伊丹事件)」に関する学者の「実態を知らない暴論」について批判する内容である。 

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2022年 DVに関する新著 

 

『加害者プログラム実施における「加害者変容後の支援のあり方」について』 

(Kindle版電子書籍 2022年5月、ペーパーバック版書籍2022年6月) 

著者 伊田広行 (イダヒロユキ) 

 

アマゾン ペーパーバック版 

加害者プログラム実施における「加害者変容後の支援のあり方」について | 伊田広行 |本 | 通販 | Amazon 

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紹介文 

 

本書は、DV加害者プログラムを通じて見えてきた新しい課題についての著作である。 

加害男性が1年以上プログラムに参加して反省して一定変容した場合でも、夫婦関係の修復が困難な場合が多い。そこで本書では加害者が1年(約50回)以上のプログラムに参加し続けて一定の変容を遂げた後、当該パートナー関係に対してどのような支援を行うことが必要かについて検討した。そこには、家族療法、オープン・ダイアローグ等の知見も付加した。 

検討の結果、実際のパートナー関係の多様性に臨機応変的にかかわること、特に加害者プログラムに一定参加した後の支援の仕方について、それを「後期支援」と名付け、家族全体にシステム的観点でかかわることや「前期支援」と対応を変える必要性などを示した。 

DV被害者にとって、別れること、別れさせられることだけが利益ではないので、加害者プログラムをいれ、被害者の安全確保及び選択肢を増やすことが重要である。別れて貧困(ワンオペ育児の大変さ含む)が多い現実のなか、被害者にとって総合的に見て最も“まし”な現実的な落とし所をみつけていくためにも、単純な因果関係のみでDVを捉えるのでなく相互循環的に関係性をとらえての後期の支援が求められている。 

加害者プログラムを経由させての後期の支援を考えた場合、「パートナー間の問題言動の7段階」の各段階に応じて、時には心理的アプローチ、フェミニスト・アプローチに加えて、家族システム的なアプローチ(それにもとづく、従来フェミニスト系ではタブー視されていた家族療法、カップル・セラピー)も取り入れる必要があると判断した。 

具体的には、DVが絶対的に犯罪的悪事であることや過去に犯したことの責任を取ることや被害者中心主義も踏まえつつ、各状況・各関係に応じて、被害者支援の充実のために家族システム的な視点も入れて、今の問題状況の改善策を夫婦双方への支援及び夫婦同席スタイルで一緒に考えていくことは有効であると主張する。 

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目次 

内容 

1 問題と目的... 4 

2 加害者対策と被害者対策の現状... 6 

2-1 加害者対策、加害者プログラムの簡単な現状... 6 

2-2 被害者支援の枠組みが古い問題... 7 

2-3 内閣府の「留意事項」(ガイドライン)の問題点... 12 

3 DV の基本認識と実際のパートナー関係の多様性... 27 

3-1 家庭内の「諸問題=もめごと」には多様なものがある.. 27 

3-2 DVの基本認識とジョンソンの「性行動をとる子供の分類」... 32 

3-3 筆者による「パートナー関係における問題言動」の分類... 33 

3-4 DV対策・支援の充実を目指しての現実認識... 41 

4 多様な関係に臨機応変的にかかわるときに、「忘れてはならない点」. 43 

5 「加害者プログラム後期支援」の充実が新課題... 54 

5-1 「加害者プログラム後期支援」とは何か... 54 

5-2 「後期支援」が必要な理由... 60 

5-3 3者面談も入れた後期支援の試み... 78 

5-4 家族療法とDV支援――システムとしての家族というとらえ方... 83 

5-5 ゲーム理論に関連してのDV関係の考察... 96 

5-6 被害者も変わることが大事――被害者の変化をもたらす関わり... 101 

5-7 多様性が求められる後期支援のあり方 (ここまでの話の再整理)... 125 

5-8 実例で考える「従来とは違う支援」―― 相互に問題がある例や面会交流などにかかわる支援例... 140 

全体のまとめーー 結論と提言... 151 

 

 

 

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 政治、戦争、社会運動

 

政治へのスタンス: 

権利は恩恵として与えられるものでなく、当事者が抵抗し闘いとっていくことで獲得できるものということを基本と考える。民主主義社会は、一人ひとりが自分の頭で考えて、主流秩序に対して不服従・抵抗することで成り立つと考える。そうした自分で考える主体的人間を「シングル単位社会を形成する“シングル”」とする。
トランプ、プーチン、安倍などの右派・ナショナリズム的なポピュリズムスタイルに反対。左派・リベラル・民主主義重視系で、連立政権ができたほうがいいというスタンス。一般論でいうと、政治は妥協であり、現実主義であり、結果論であり、権力闘争は暴力主義・謀略駆使・金権政治・汚い方が勝つことが多く、非暴力的でまじめで正直な人は勝ちにくいので、政治というものににナイーブにはなれない(理想を語れない、希望を持てない)という認識。しかし嘆いたり批判だけでは、現実は改善できないので、少しでもマシな状態にするために誰かが妥協的に政治闘争にかかわる必要があると考えている。
日本では、自民党や公明党、維新、みんなの党などを批判。しかし日本では、北欧型の社会民主主義で政治的に勝利するのが当面難しいと感じている。政治家個人としては、非常に素晴らしい政治家がいることは知っており、そういう政治家を支持・応援してきた。しかし自分は政治には向いておらず、政治自体にあまり期待できないと思ってかかわりは小さくしているスタンス。アナーキスト的に細部末端からの抵抗に当面の希望を持っている。社会全体を変えるのがむつかしくても、部分的には理想社会に近い状態が作れるという希望の持ち方。共産党、社民党、社会党、新社会党、民主党、立憲民主党などを基本的に支持。2009~2012年の民主党政権には自民党政権よりましな点が多かったので大きな意義があったと考えている。したがって民主党政権を失敗だったと批判するスタンスに反対。それが安倍政権をもたらしたと思うので、相対的にましな方を支持すべきと考える現実主義。
自民党に勝つために、野党共闘により候補者一本化に基本的に賛成。共産党と立憲民主党の選挙での対等協力を支持。選挙制度自体に問題が多いと考え、北欧型の、政党中心の選挙にしたほうがbetterと考えている。当面、中選挙区にして民意を多様に反映したほうが良いと考える。政治姿勢において、本質的特徴をつかむために、「左派」「右派」「左翼」「右翼」「国家主義者」といった分類には有効性があるとみている。主流秩序を基準に自分の判断基準を明確に持てない者が、判断軸を見失って「左翼」「右翼」という区分を嫌っている場合が多いとみている。
政治については、「ジェンダー重視時代の新しい政治」畑山敏夫・平井一臣編『新 実践の政治学』法律文化社 2007年2月発行)、「政治家っていったい何をしているの?――地方政治を内側から調べる」(大阪経済大学地域政策学科編『フィールドワークのすすめ』法律文化社 2003年)などもある。
関連 「野党がふがいない」という決まり文句が間違いという指摘 [19]
混乱させたのは松井の方なのに、逆に弾圧、まさにファシズム [20]


  選挙制度

 北欧のような比例代表制に変更することが良いと思っているが、日本では抵抗が多いであろう。したがって、少数政党の声も反映しやすい中選挙区制の方が現状の小選挙区制よりもましと考える。
北欧では、 各政党が獲得した投票数に比例して候補者に議席を配分する「比例代表制」という選挙制度 となっている。おおむねリストは男女半々。社会のマイノリティの声を反映させるリストにすることが望ましい。選ばれるのは、政党であり個人ではないため、 死票少ない というメリットがある。

非暴力的な社会改革: 

過去の革命の意義も認めるが、現代においては暴力的な革命は不可能と考え反対する。市民革命、ロシア革命など現実的に歴史を進めた面があると思うが、現実として革命中やその後に、独裁体制的になり、非民主主義的な弾圧、粛清があったことには、まったく賛成できない。その時代や社会に生きていれば現実はむつかしいと思うが、今の日本にいる自分としては暴力的な闘争は選択しない。しかし、ミャンマーの軍事クーデーターやその後の傍若無人な弾圧に対して、非暴力的な戦いだけでなく、仕方なく武力をもって抵抗することは支持する。先制攻撃否定。敵基地攻撃否定。核禁止条約を批准すべきと考える。安倍政権の安保法に反対。集団的自衛権に反対。日米軍事同盟に反対。竹島などの領土で外国と対立することに反対。自国民と領土のために武力で戦うことに反対。米国との軍事同盟を破棄して、非武装で中立路線を選ぶ。 


反監視社会: 

監視社会に反対。スパイ防止法反対。監視カメラの無限拡大に反対。しかし、実際の犯罪防止のために、個人が防犯カメラを使うことには賛成。オリンピック・国民体育大会・万博開催などのイベントを契機とした監視強化に反対。しかし、犯罪防止のための利用には限定的賛成。性暴力加害者の監視には賛成。 

 

表現の自由: 

児童ポルノなどの規制には一定条件で賛成。論争があって議論が深まり認識が高まることが大事と考える。美術館の作品の評価が多様にあることはいいが、差別を拡大することに反対する立場。主流秩序に加担する作品に批判があってもいいじゃないかという立場。反対派を毛嫌いして対話しないのではなく、どういう思いで反対や賛成があるかを聞き合うことが大事という立場。ポルノ被害との関係で伊田が書いたものとして、「性暴力被害者の声に耳を傾けず主流秩序にいなおる森美術館」(ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』不磨書房、2013年)がある。 



自殺: 

自殺については、社会的諸問題の総合的な結果としてあることが多いので、苦しい人を助けて自殺を減らす活動が大事と考える。しかし、死ぬ自由もあると考える。自殺を減らすために、貧困対策などに加えて、ビフレンディングな姿勢で寄り添う相談活動が有効と考える。傾聴だけでなく、具体的支援と結合させることが有効という立場。自殺を止めようとしないで思いを受け止め、寄り添うスタンスの相談が重要。自殺防止センターや寄り添いホットラインでの活動歴あり。自殺と支援については、「自殺防止活動とスピリチュアルケアについて」(『大阪経大論集』54巻第6号2004年)がある。
 

  

暴力・戦争へのスタンス: 

非暴力主義の伝統から学び尊重するスタンス(伊田著『戦争に近づく時代の生き方について)。ただし暴力に抵抗するための暴力が必要な時もあると認める。DV論などで暴力概念をグレーゾーンまで拡大し、DVに早く気づき対処する社会になることを提唱。 

戦争については、絶対反対の立場である。次の「反戦争」項目も参照。 

「攻めてこられたらどうするんだ」への答えはすでに伊田は出しているという。ル=グィンに学んで、「マッチョ・男らしく祖国を守ろう」ではなく、『逃げよう』という路線である。逃げるがそれは暴力に屈するのでなく、真に「勝つ」ための路線である。とりあえず逃げて、そして時間の中で戦い勝利する道である(主流秩序への抵抗路線)。具体的に、ロシアのウクライナ侵攻についてはブログでコメントしている。[13] 

命を守るために逃げろ! ロシア・プーチンによるウクライナへの戦争について - ソウルヨガ (hatenablog.com) 

ウクライナのナショナリストに騙されるな 踊らされるな 命を捨てさせられるな [14] 

いつからあなたは軍の司令部になったのか [15]
ロシアのウクライナ侵攻について  追記 [30]
「いいや、あなたたちは知っていた」2015-12-22 [1]
2015-12-21 戦争時代前夜 [1]
 2015-12-12 九州大学 生体解剖事件 [1]
●ブログ記載:ロシアのウクライナ侵攻に関連して、私の「暴力、戦争」に関する意見
 

1 

2022-03-04 命を守るために逃げろ! ロシア・プーチンによるウクライナへの戦争について 

2: 

2022-03-11 ウクライナのナショナリストに騙されるな 踊らされるな 命を捨てさせられるな 

3: 

2022-03-13 いつからあなたは軍の司令部になったのか 

4: 

2022-03-23 ロシア侵攻に関するスタンスで、いくつかのまともな意見を知った 

5: 

2022-03-23 1中は2中が怖いからナイフで自衛?--防衛、憲法をめぐる議論について 

6: 

2022-03-24 ロシアのウクライナ侵攻に関する日本の報道 小倉の意見 

7: 

2022-03-25 〈国境〉を肯定するか否か 

8: 

2022-03-31 細谷雄一氏の問題の立て方にゆがみ 

9: 

2022-04-01 ウクライナもロシアも一つではない 

10: 

2022-04-01 私の反戦論とジェンダー 

11: 

2022-04-06 ウクライナの非武装主義者ユーリ・シェリアジェンコ氏からの情報 

12: 

2022-04-10「あなたの中の最良のものを」 

13: 

2022-04-11「憲法9条で日本が守れるのか?」への返答の一つ 

14; 

2022-04-27 ロシアのウクライナ侵攻の問題 追記 
https://hiroponkun.hatenablog.com/entry/2022/04/27/131344
15; 

022-05-06 小泉悠氏の意見を批判する (本㏋のP5に掲載) 
 

2022-05-18 白川真澄「ウクライナ戦争にどう向合うべきか」への私の3つの異論点 
 

https://hiroponkun.hatenablog.com/entry/2022/05/18/120813 



 

反戦争・反自衛隊: 

 戦争反対(反戦)のスタンス。したがって憲法9条維持のスタンス。安易な憲法改革の動きに反対。自衛隊反対で、自衛隊を解体し、災害救助隊に根本的組織改編するのがいいというスタンス。当面、自衛隊という軍隊を、民主化すること。抗命権の確立。非武装中立をいって何が悪いかと思っている。国とともに、各地方や都市が無防備宣言していくこともあればよい。

伊田著『戦争に近づく時代の生き方について―――戦争/ナショナリズム/暴力に対する、非暴力/主流秩序の観点』(電子書籍 2016年3月、増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍2020年9月)に戦争への見解がまとめられている。
 2015-12-09 特定秘密保護法の正体――秘密だからと会計検査院の検査も拒否 [1]

 

世界の人権侵害に反対: 

世界的な人権侵害に反対する。光州事件、香港弾圧、天安門事件、チベット弾圧、ウイグル弾圧、クリミア併合 などに反対。 

ミャンマーでの民主派弾圧などに反対。 トランプやプーチンの敵対勢力罵倒・弾圧に反対。拉致にも当然反対だが、日本の拉致被害者の運動が右翼の緊張激化による戦争準備の機運を高めるための活動に利用されていることには批判的。北朝鮮への戦争・武力干渉・軍事的圧力強化には反対。日本の中の朝鮮学校差別に反対。 

したがって一国内のことに他国が口出しするなという「国家主権」「内政干渉するな」という考えに反対。

「国家主権」の名で他国の批判を否定することに反対

家族内の人権侵害に対し、「他人が口出すな。これは家族の問題だ」という人がいるが、家族単位発想、家族員を所有物のように見る考えに反対なので、家族内の人権問題に他者が口出しして当然と考える。国家含め、他者が介入する必要がある。同じように、国をひと固まりで、内部に民主主義があってなんの問題もなく意思決定がなされているという考えに反対。国の中には支配層もいれば、支配される人びと、意見の違いなどいろいろな人がいて当然。したがって、国家主権があるから他国が口出しするべきでないと考えるのではなく、ある国の中に人権問題があるならば、他国が人権問題に口を出しことには正当性があると考える。したがって、ある国の中や、2国間の対立の中で、人権上、問題がある場合、第3国などが介入する権利も道徳的な必要もあると考える。ただし、軍事的介入には反対。

 

中国でのウイグル族に対する「ジェノサイド(集団虐殺)」を許さない立場 

これについては2022年、新疆ウイグル自治区にある収容施設で拘束されている少数民族ウイグル族に関する内部資料がハッキングで公表され、その残虐行為の実態が明らかになっている。資料では、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなどがあった。 

「再教育施設」というが実態は収容所で、収容政策で重要な役割を果たした陳氏が17年5月28日の演説で、国内外の「敵対勢力」や「テロ分子」に警戒するよう求め、海外からの帰国者は片っ端から拘束しろと指示していた。「数歩でも逃げれば射殺せよ」とも命じたことを示す資料もあった。手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている様子の資料もあった。 


 

各国の他国侵略、侵攻に反対の立場 

国家主権は関係なく、人権問題にはだれもが口を出す必要があると考えるが、独裁や虐殺、人権問題があろうと、軍事的な解決を目指すことには原則、反対。ケースによっては、一時的に抵抗(防衛)する権利などはあり得ると考えるが、その場合も、一国内の異論を尊重し、武力的対抗に参加しない権利、逃げる権利が尊重されるべきと考える。

民主主義の限界を認識しつつ、ましな民主主義を追求する立場

「民主主義」の体裁を通じて、主流秩序を正当化するようなこともしばしばなされる。典型は選挙によっての正当性主張やメディアの存在による表現の自由の主張、教育やメディアによる思想・情報操作による不満や抗議の低下、国民の生活が改善されているから民主主義が機能しているという主張、ポピュリズムの正当化、政権への支持率(世論調査)で正当性を主張するようなものがある。しかしそれらは管理された社会によってコントロールされた結果の場合がしばしばある。
だが、民主主義以外に人権を大事にする大きな枠組みもないので、ましな形にしていく不断の改革や検証が必要である。その際に重要と考えるのは、多数派の横暴、洗脳、支配にならないよう、小数派の権利の尊重、異論が存在できること、主流秩序の下位の尊重、主流秩序自体への事態への批判の自由があること、である。
カルト支配にならないためには、脱退の自由、経済的搾取がないこと、異論が言えることが大事なので、国レベルでも、主流秩序・体制・権力から離れることができること、出国の自由、体制批判・異論反論の自由、そして経済的搾取がないことなどが大事であろう。また結果から見れば、主流秩序による格差が小さくなっていること、弱者の権利が守られていることが重要である。
具体的には、私は、北欧型の社民主義がもっともましな民主主義と思っている。中国や北朝鮮やロシアやイスラエルはもちろん、米国も、日本も、民主主義の質の点で大きな問題がある。


ナショナリズム思想に反対: 

ナショナリズム・排外主義・ヘイトスピーチ・軍国主義に反対。言論の自由に対しては、人権侵害する自由はないとする立場。 自国の領土を守る、そのためには犠牲もいとわないといい、犠牲を美化する風潮や思想に反対。プーチンが「ロシア万歳」ということにも、ウクライナのナショナリストにも反対。国というような抽象的なものに同調・一体化して、他国民と対立するなど愚の骨頂。各国の支配層の対立に巻き込まれることを愚かと感じ、そうしたものから離れ、国境や民族や国籍を超えて、各国の民衆が憎しみあわず、反戦争で共存・連帯することが大事という思想。当然、国をベースとした王制、天皇制、軍隊、民族主義、愛国主義(国家・国旗賛美、強制)などにも反対。

これに関連する記事: 

認識のゆがみ―――米朝会談と拉致問題とナショナリズム [16] 


歴史修正主義に反対: 

慰安婦問題をはじめとして、日本には歴史修正主義がはびこっていると考え、それを批判する立場を伊田はとっている。「反日」などという右翼が使ってきた表現を近年は日本の主要メディアが全部使っている状況がおかしいと主張。2022年にはNHKで「歴史戦」という表現まで使われた。歴史教科書問題(慰安婦、侵略などの削除)、佐渡金山問題、徴用工問題、南京大虐殺など、様々な問題で日本は、歴史に正しく向き合わず、日本は悪くなかったという歴史修正主義をばらまき始めている状況とみている。北朝鮮・韓国・中国を敵視するようなヘイト傾向にも反対。 

 

朝鮮学校差別に反対 :

こんなにわかりやすく差別しておきながら差別とも感じないで、差別する自民党政権を容認するほど鈍感な人たちが多いことが信じられない。日本の恥だと思う。 

参考: 安倍政権とともに北朝鮮差別を平気で行う日本の司法・メディア [17] 

朝鮮高級学校へのいやがらせ 修学旅行おみやげ取り上げ事件 [13] 

朝鮮学校お土産没収いじめ その4 韓国弁護士団体、国連に日本国内の朝鮮学校差別実態報告書提出 [14] 

朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するの声明 への署名 [16] 

 

外国人差別に反対: 

研修制度に隠れた外国人労働者搾取に反対、入管の人権抑圧待遇・暴力・難民認定の低さに反対、在日外国人差別にも反対。在日外国人にも選挙権を保証するべきという考えに賛成。 


入管行政のひどさに反対する立場 :

過去、多くの人が入管行政の中で異常ともいうべきひどい扱いをされてきた。したがって人員を入れ替え制度を改変するなど根本的に変えないと、同じレベルの人権意識の人が残っていては変わらないと考える。過去に適切な医療を与えず虐待したような“犯罪”を犯した者たちは厳重な処罰をなされるべきであると考える。隠ぺい体質をなくすためにも完全透明化が必要。すべての記録ビデオは全面開示すべき。 

とりあえず、名古屋の入管施設で2021年3月に死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんへの虐待に加担した職員・医療関係者は懲戒免職とともに、刑事罰に処されるべきと考える。ウィシュマさんの妹、ポールニマさんが国に損害賠償を求め提訴した裁判を支持。国は争わず、すぐに謝罪・賠償すべき。 

 


憲法改正に反対+反天皇制: 

一般論でいえば憲法を変える場合があってもいいと考えるが、実際の政治においては、憲法9条を含め、自民党の右翼的な改悪案(家族単位も書かれている)に結果的に加担することになる危険性があるので、現状では憲法改正に反対。憲法改正に賛成という人は、結果的に右翼的な改悪におわったときに結果責任を取るべきと考える。その覚悟がなく、安易に憲法見直しを言うのんきな人の政治的センスに疑問。なお、天皇制自体に伊田は反対(将来的には廃止すべき)だが、当面、現行憲法の枠内にとどまる天皇制の維持には賛成する。女性天皇・女系天皇制への改革に賛成。天皇制と結びついた国民体育大会などに反対。伊田著「私の反天皇制的生き方――ジェンダー、“女性の貧困”、プレカリアートの反貧困運動」(『飛礫(つぶて)』64号09年秋発行 )には、主流秩序論と結び付けて天皇制的なものとは何かの見解が記してある。 

参考:WAM 【アピール】天皇制に終止符を [18] 



 

貧困の拡大的とらえ方

伊田は貧困をたんなる経済的なことに限定せず、主流秩序に囚われ、自由や成長や安心や自分らしさが阻害されていること、ととらえる。DVや性暴力被害にあうことも貧困のひとつ。そうした観点で教育論なども展開している。伊田編著の『貧困と学力』や「貧困と性的暴力と性的商品被害」(性教育教育研究協議会編『季刊SEXUALITY』№73、2015年10月)など。 

 

三井マリ子「すてっぷ」館長裁判へのスタンス 

「すてっぷ」館長の雇止めの取消しを求めて大阪地裁に提訴した件で、伊田は、三井支持の側に立った。伊田のスタンスは、引きずりおろそうとした勢力に屈服するようなことが主流秩序への加担・従属なので、それに反対する立場を選ぶということ。したがって、そういう流れのなかで「すてっぷ」側擁護に間接的にでも加担する言動に対して違和感を感じるスタンス。ジェンダーフリー攻撃の空気のときもそうだが、:行政や世間などににらまれたくないからと、あえてもめているところにはかかわらず、中立のような態度をとる人に伊田は批判的。「仕事が来なくなることを恐れて沈黙・距離をとる」ような人を軽蔑する。 

なお裁判は、一審では棄却されたが、控訴審の大阪高裁は2010年3月、「三井の行動に反対する宗教右翼等の勢力から受けた組織的な攻撃に市が屈した」「説明せずに常勤化に動いたのは人格権の侵害」と一審判決を破棄し、市に150万円の賠償を命じた。 

 

脱原発: 

環境破壊の危険性が大きい原発に反対。取り返しがつかない事故が起こる危険性。経済的に苦しい地方に危険なものを金の力で押し付けることにも反対【それは沖縄に米軍基地を押し付けるのと類似の構図)。事故が起こらなくても、あとの世代に危険な荷物(核廃棄物含む)を残す問題、核兵器のもとになる問題、末端労働者の被ばく、地域に分断をもたらす、など問題が多いので原発廃止を直ちに進めるべきという立場。福島の汚染水放出には反対。 



 


反オリンピック: 

オリンピックには昔から「商業主義」「勝利至上主義」「国威発揚などの政治利用」「税金の無駄使い」「ナショナリズム」「国民の意識をそらす政治的道具」などゆえに反対の立場なので、2020東京五輪誘致が決まったときに嫌な気持ちになったタイプ。オリンピックの意義として「国威発揚」「国際社会における地位向上」、「経済効果」、「市民へのスポーツ振興と普及」「東北大震災からの復興を世界に示す」「コロナに打ち勝った象徴として祝福する」などということ自体がおかしいと感じている。しかもそうした「リターン」がなくなり、逆にコロナ蔓延の中でも人命を軽視し、金もうけにしがみつき、医療関係者や国民の声も無視し、IOCなどに従属し、女性蔑視発言が相次ぎ、開催を軌道修正する能力もなく、日本社会が人権感覚でオリパラの理念に反するレベルであることを示す「恥ずかしいイベント」「失敗のイベント」に成り下がってしまったこと考え、それでもオリンピックでの日本のメダル獲得(国別メダル数比較)に喜ぶメディアや人々に反発するスタンス。「いかなる国別の世界ランキング表も作成してはならない」としていて、大坂なおみさんなど「国民」に多様性があるときに、国民国家の単位で入場行進し、表彰台で国歌を流すスタイルは、オリンピックは国別競争・国の代表ではないとする理念、多様性理念と反する矛盾。 

中国やロシア:などが国家力をしめすために利用するオリンピックは、世界平和を目指す運動という憲章と矛盾している。 

税金の使途など、開催後に正しく運営されたかを検証することは不可欠だが、1998年の長野五輪では、不正・無駄使い、関係者の責任を隠蔽するために招致委員会の帳簿が捨てられたということがあった。 

 

責任の取り方

責任を取るとはどういうことか。伊田は口先で根拠なく謝るのではなく、過去に戻ってなぜそれを選んでしまったのかを深く説明し、他の選択肢があったのにその間違った道を選んだ理由を深く解明し、結果・影響への正しい認識、誠実な謝罪、倍賞をちゃんとすること、再発防止の対処、などが必要であると考えている。これについて簡単にブログでまとめてい
責任のとり方 - ソウルヨガ (hatenablog.com) 

 

日本学術会議事件に反対 

菅政権が政府にあまり賛同しない学者6人の任命を拒否した前代未聞の事件に反対。菅首相は、全員のリストは見ていないといいつつ、多様性の観点で6人を任命しなかったともいった。しかし、多様性というならまさに、政権に批判的な人もいれなければならないが、政権批判の文科系学者だけを排除したので多様性と矛盾。 

 

陰謀論系批判: 

ネットなどに広がる陰謀論系を信じる人を批判する立場。たとえば、「政財界やメディア、ハリウッドを牛耳って世界を影で操る勢力が存在し、この勢力は子供の性的人身売買のネットワークを張り巡らせ、トランプは人々のために彼らと戦っている」というようなバカげた「Qアノン」を信じるような人々、ネトウヨ系の主張に反対する。 

 

コロナ問題: 

2020年の3月段階から十分な検査を早急にして早く見つけて感染者を隔離する形での感染抑制の政策をとるべきと主張。これをカゼやインフルエンザと同様軽い問題だ、経済を優先すべきとする橋下徹などを批判。徹底した検査による感染抑制をしないことは、命の軽視であり、トリアージ的状況を仕方ないとするのは優生思想(高齢者や障がい者などが死ぬことの軽視)の表れだと批判。感染者が増えて実際に死者が増えたが、その状況が予想されていたにもかかわらず、「過剰に恐れず経済回せ」という人は、結局、高齢者や障がい者など体の弱い人は死んでも仕方ないとする意識であるということが判明しているとする。 


沖縄米軍基地押し付け問題: 

沖縄に米軍基地を押し付けることに反対。それは46人の近所の人が一軒の家の庭に46件の家のごみを置くようなことだと批判。米軍基地をなくすこと、日米軍事同盟を破棄することが必要だが、当面、沖縄以外(外国含む)に基地を移す交渉を行うべきと考える。辺野古への建設工事は直ちに中止すべきという立場。日本政府の沖縄いじめには憤っている。この点だけでも自民党に投票する人が信じられないという思いを抱えている。 

 

米国の公民権運動

学生時代に、米国の公民権運動については、海外で作られたドキュメンタリーシリーズをみて感動し多くを学んだ。多くの人の思い・命がけの戦いがつながって現在があると考え、フェミニズムの展開もその前にこうした公民権運動の営みがあったことを土壌としているとみている。ローザパークスのバスボイコット運動、ワシイントン大行進、キング牧やマルコムXの言動などこの公民権運動にかかわった人や運動の映画・TVドラマなど(たとえば『ミセス・アメリカ』『ゴッドファーザー オブ ハーレム』「マルコムX」「アイアン・エンジェルズ」「ローザパークス物語」)を多く見て自分のスタンスの原点を確認している。 


いじめ犯罪化: 

フランスのいじめ犯罪化法案に賛成。DVもセクハラも、こうした方向が必要と考える。 


杉田水脈(みお)衆院議員に反対

「LGBTは生産性がない」といった杉田議員の考えに反対。自民党から追い出さないで、彼女の大事にして支えている自民党・安倍晋三に反対。 

杉田議員は、昔からのバックラッシャー、極右でネトウヨのアイドルで、在特会(在日特権を許さない市民の会)と近い人。差別発言・妄言を繰り返して上昇してきた人。主張は、フェミニズム攻撃大好きで男尊女卑、慰安婦問題批判、9条改憲軍事大国化賛成、愛国教育推進、歴史修正主義賛成、ヘイト肯定の立場。安倍首相に引き立てられて自民党中国地地方比例区リストに置かれて当選。櫻井よしこが「安倍さんがやっぱりね、『杉田さんは素晴らしい!』って言うので、萩生田(注:萩生田光一)さんが一生懸命になってお誘いして、もうちゃんと話をして、(杉田氏は)『自民党、このしっかりした政党から出たい』と」なった。」と説明する人。安倍首相は2012年5月、杉田氏と面会し、「稲田朋美を見習え」「どんな形でもいいから国会に上がってきなさい」と激励。慰安婦問題で先頭に立って安婦問題を否定する活動に邁進。国連人種差別撤廃委員会などでロビー活動。2016年2月、自分のブログで、国連女子差別撤廃委員会の関連に出席した人々について、〈目の前に敵がいる! 大量の左翼軍団です〉〈ハッキリ言って"小汚い" なんでこんなにきたない人ばっかりで集団を作れるのか不思議です〉〈国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります〉〈とにかく、左翼の気持ち悪さ、恐ろしさを再確認した今回のジュネーブでした。ハッキリ言います。彼らは、存在だけで日本国の恥晒しです〉などと述べている。 

「正論」2016年5月号で、国連の女子差別撤廃条約は「重大な女性差別が存在しない日本には必要がない」と発言。2016年7月には、「保育園落ちた日本死ね」ブログが話題になったときに、保育園落ちたのは「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということだと自己責任論で批判。保育を推進するのは、子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をするという旧ソ連が共産主義体制の中で取り組んできたことと批判。 

コミンテルンが、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、日本の一番コアな部分である「家族」を崩壊させようと仕掛けてきており、保育所問題(待機児童問題)もその一環と主張。2018年には、財務省セクハラ問題で 問題発言連発。「貶められた冤罪だ」「セクハラと騒ぐのは魔女狩り」「セクハラ、セクハラと騒ぐ裏には思惑がある」「#MeToo運動はもう辞めよう」。その後、「新潮45」にLGBTは生産性がない」と書いて炎上。『新潮45』2018年8月号「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」 「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません」。さらに『新潮45』2017年3月号で 「『多様な家族』より普通の家族」、「子供のころから私は『普通』というものをかなり意識していました」「この『普通』を普通に語ることができない日本になってしまいました」「『多様な家族』があふれる日本は、果たして幸せな国なのでしょうか」。●日本文化チャンネル桜「日いづる国より」2015年6月5日では、「同性愛の子どもは普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。それでもあなたは必要ないと言うんですか? と言われまして。私はそれでも優先順位は低いと」こたえる。2015年6月に公開された「チャンネル桜」(右翼サイト)の番組では、「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」。 

山口敬之元TBS記者のレイプ事件に関して、山口氏に強姦されたと名乗りを上げた伊藤詩織氏に対して、英国BBC番組で問題発言。BBCが制作したドキュメンタリー番組『Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)』2018年6月29日のなかで、「女として落ち度があった」と伊藤氏を批判。「男性は悪くないと司法判断が下っているのにそれを疑うのは、日本の司法への侮辱だ」「伊藤詩織氏のこの事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」と発言。 

「LGBTは生産性がない」といった杉田議員とは [27] 

 





 

その他

 
アーシュラ・K・ル=グウィン: 
「闇の左手」や「所有せざる人々」「ゲド戦記」などで有名なル=グウィンから多くを学びそれを生かした暴力論・戦争論(遺産しくなく逃げる大事さ)を「戦争に近づく時代の生き方について―――戦争/ナショナリズム/暴力に対する、非暴力/主流秩序の観点」で展開した。 

 



学問へのスタンス: 
理論、研究、論理、理性、合理主義、哲学、思索などを試作などを重視する点で、知性に希望を持ってはいるが、大学・学界システムには批判的。アカデミズム・学界的なものの主流秩序への加担性、無批判性を批判するスタンス。特権的な地位にいるものが多いことを批判的に見て、自らは正規大学教員をやめた。一部まともな研究があることは認めるしそこからも学ぶが、多くはつまらない研究であるとみている。学者的論文スタイルをあえてしないスタイルを選ぶ。有名な学者などの言葉【それは正しさの根拠となるもの】を引用するものを集めるのが論文、それが客観的なもの、自分の意見を言うのはよほどのことがないとだめといったようなよくあるスタイルに批判的。学問・論文スタイルとそうでない物とを切断することに反対。公民権運動のドキュメントやガタロさんの生き方を知ることや茨木のり子の詩を味わうことは、100本の論文的なものより価値があると考えるスタイル。「結局現実の改革にどう貢献するのか、だから何なのか」に答えうるような骨太な論考/思索を好む。しょせん、過去の財産に付け加えていく作業であるので、特に自分の成果だ(だからそれをもとに主流秩序を上昇する)と思うような、自分の出世・名前を売るような姿勢に懐疑的。
教育業界・大学のあり方にも批判的で、現状、主流秩序に無批判で主流秩序維持の一部になっている教育機関・大学が多いと思っている。知識偏重から、生きる力をつけるように、小中高校の学校教育の改革案として提起したものとして「“エリートでない者”がエンパワメントされる教育」(岩川直樹・伊田広行編著 『貧困と学力』明石書店2007年)がある。また参加型の学び(ワークショップ)の意義については、「労働者の新しい学び――労働教育ワークショップ」(共同執筆『職場の人権』第24号(03年9月)がある。 


 
アドラー心理学
アドラー心理学には賛同する部分が多い。課題の分離は、シングル単位の思想そのもの。優越コンプレックス/劣等コンプレックス批判は、主流秩序の観点とあわせて理解することで実践的に意義が出る。承認欲求批判、ギブアンドギブの考え方にも賛成。 大学でのジェンダー論をアドラー心理学も使って展開している。

ガタロさん 

NHKでガタロさんを紹介する番組を見て強くこの方の生き方に尊敬心を覚え、以降、毎年、各講義で必ず学生さんに紹介し、みてもらっている。主流秩序に囚われないイメージの典型。ガタロさんのことは『閉塞社会の秘密』(2015年)で紹介。 


アニマルライツ・ヴィーガン、種差別: 

人間を上位に置き人間のためには動物の苦悩は仕方ないとする動物を劣等化する秩序も主流秩序の一部と考え批判(伊田著『閉塞社会の秘密』)。アニマルライツ(動物の権利)、アニマルウェルフェア(動物の福祉)を尊重するスタンス。環境問題やアニマルライツや健康なども併せての意識的なベジタリアン、ヴィーガンというスタイルに賛成。 「知能の低さ」を理由に動物への仕打ちを是認する考えは、幼児や老人や知的障害者差別、優生思想とつながると考える。 

ただし、伊田自身は、自分は緩やかなベジ指向程度(ゆるベジ)しかできてていないという。しかし、ヴィーガンを批判することに反対し、ヴィーガンを尊敬する、今後必ずこの問題は重要になっていく、というスタンスであると述べている。 

消費者市民社会; 

消費者のあり方として、人権問題や安全性や環境問題なども考える責任を取って生きる、賢い消費者(コンシューマー)になることが望ましいと考える。その意味で消費者教育が重要と考えるスタンス。消費者が、自らの消費生活に関する行動が現在及び将来の世代にわたって内外の社会経済情勢及び地球環境に影響を及ぼし得るものであることを自覚して、公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する消費者市民社会になる方向を支持する。 
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偏狭な他者非難の風潮に関して

 出所 :拙著 『加害者プログラム実施における「加害者変容後の支援のあり方」について』(Kindle版電子書籍 2022年5月) 



●「弱者の権利の乱用」「被害者権力」にならないように 

以上の「被害者が変わっていく」ことにかかわる様々な話は、5-2でも少し触れたが、「弱者の権利の乱用」「被害者権力」にならないようにすることが後期段階では必要という話、およびマイクロ・アグレッションのマイナス面への危惧の話(5-4)と関連している。そこで、ここで少し一般論やネット社会の状況の話も入れて膨らませて整理しておこう。 

筆者はもちろん、弱者の人権擁護のためには、中立ではなく弱者の側に立つ「スタンスの選択・偏り」が重要と考えている(主流秩序への傍観という“消極的加担”ではなく、抵抗が重要と思う立場)。またDV支援に沿って言えば、前期支援段階では、被害者の側に寄り添って『あなたは悪くない』と伝えること、PTSDなどへの配慮がいることは認めている。 

だが、昨今、社会的には加害者・被害者、差別、暴力をめぐって、「様々な問題」が起こっており、そこへの配慮も考えて、バランス良いスタンスを形成することが以前にもまして重要になっていると考えている。 

その「様々な問題」とは、差別告発やマイクロ・アグレッションという概念の功罪(なんでも攻撃材料にして対話や解決・和解を遠のかせる面)、「ポスト真実」の時代のフェイクニュースの広がりとそれに騙されたり拡散しないような力が必要という問題、いわゆる「敵側」だけでなく「仲間内」でも意見・立場が異なるものへの過剰な攻撃・誹謗中傷がおこっている「内ゲバ」的な問題、「キャンセル・カルチャー」[1]や「コールアウト・カルチャー」[2]の功罪の面、仲間・味方には甘く「敵」には不寛容で厳しい二重規範(ダブルスタンダード)や「陣営主義」の問題、人権を非暴力・寛容の文脈で言いつつ、異論者へは不寛容・暴力的に攻撃する問題、積極的な差別是正策に対する「逆差別だ」とする批判の功罪、リティカル・コレクトネス(PC、ポリコレ)[3]をめぐる対立、「ゲーマーゲート論争・ゲーマーゲート騒動」[4]での対立、などである[5]。 

 こうした様々な概念が示す状況によって、差別や人権にかかわる運動や主張、政策において、「リベラル側」「弱者・被害者」側が一方的・一面的にガンガン攻撃だけすればいい(自分たちのあり方を見直さなくてもいい)という単純な構図で事足りるということではなくなっている。「弱者の権利の乱用」もここにかかわっている。 

 

●反対の見方に対する不寛容をやめる 

こうした諸概念が示していることは、「配慮すべき視点」として以下のようなバランスへの目配りが重要ということではないだろうか。 

すなわち、まず一般論として、配慮すべき視点のひとつは「信義誠実の原則(信義則)」と「権利濫用」の禁止である。信義則は、民法第1条2項「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」という法原則、「権利濫用」の禁止は、憲法12条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」、民法第1条3項 「権利の濫用は、これを許さない」で示されているものである。人権擁護の運動と言えども、相手を馬鹿にして一方的に攻撃するのでなく、権利の濫用に注意すべきと言える。 

DV関係でいえば、被害を受けて、「怒る権利、反発する権利」は一定あるとはいえるが、自分が正義の側と思って、何についても一方的に過剰に相手を攻撃し続けるのはバランスを失しているとみるのが、「弱者の権利の濫用」禁止の精神と言えるだろう。 

そのうえで、次のような諸点への配慮が求められている。人権問題の指摘、加害者に責任を取らせること、キャンセル・カルチャーなどには積極面もあるし、オルタナ右翼等からの不当な「運動攻撃」「人権嫌い」の場合もあるが、運動が一面的になるなど指摘されている問題が生じている場合もある。こうした諸概念が、適切な社会運動の意義を否定することに使われないようにすべきであるし、新しい人権概念に合わせて価値観をアップデートしていくことと同時に、運動の行き過ぎなどの適切な批判には耳を傾けるべきである[6]。「反対の見方に対する不寛容と公の辱めや村八分の流行を助長すること」には警戒的になるべきである。 

「人を善か悪かでしかとらえず、その中間の余地を認めないこと」、「2つの異なる意見が、妥協したり合意したり、合意できない点を確認して認め合って共存したり、お互いから学んだりするということを排除すること」、「間違ったり不十分ということを排除と同義にとらえること(悪い奴は徹底して糾弾してつぶして当然)」「人間には完璧な人がいないことを忘れ、自分の悪意や単純さに気づかず、相手の悪いところを疑問なく平気で攻撃すること」、「ひどい政権などがあって、それに感じ続けた腹立たしさや無力感・怨念をネットでの攻撃に流し込むこと」、「ストレス発散のために匿名で尻馬にのって安易にリツイート、拡散などをすること」、「必要以上に強い口調で糾弾したり、事実を確認しないで情報を拡散すること」、「批判されると単にリスク管理で、議論を深めず表面的に謝ること」などをやめるべきである。 

たった一度の誤りで過去と未来全部を全否定・台無しにするのでなく、「cancel(抹消)」するよりも、理解と教育、説明責任の実行による対処の機会を提供するべきである。憎しみ合わせ、人々を分断させるためではなく、むしろ人々と連携して社会全体を良くするためという意識で臨むべきである。「つるし上げ」「人民裁判」「魔女狩り」「ダブルスタンダード」にならないように、相手に対しても問題言動と人格を分け、寛容さをバランスよく保持すべきということであろう。 

オバマ大統領が、現実的なことを考慮して、次のようなことを指摘したこともここにかかわる。すなわち、バラク・オバマは、2019年10月29日に行われたオバマ財団のサミットのスピーチにおいて、「絶対に妥協しない、常に政治的・社会的な正しさに対する意識を高くといったこの純粋な考え方…… これを一刻も早く乗り越えるべきだ」とコールアウト・カルチャーを批判した。オバマはコールアウト・カルチャーが一部の若者にしばしば用いられ、それがSNSで加速することを取り上げて、「これは変化をもたらすものではない」「他人に石を投げるだけでは変化は生まれない」「(一面的に攻撃することが)純粋で、妥協せず、常に政治的に意識が高いという考えから早く卒業すべきで、現実の世界は乱雑であいまいだ」と指摘した[7]。 

 また、人権派内の対立や、DV加害者・被害者にかかわるときを想定すると、自分(たち)の主張を受け入れさせるために、威圧し非難する行為に注意すべきと言える。何か異論を言うと「加害者がそういうことを言ってはいけない」とか「それは二次加害だ」といって抑え込むのは適切でない。 

また、根拠があいまいな一方的な意見や情報を拡散することやデマの拡散もしてはならない。リベラル陣営が"内ゲバ"を繰り返すより、違いに寛容になり、多少の我慢を受け入れて、総合的に考えて、真に意味のある前進を目指すべきなのである。 

そもそも、上記の「諸問題」を起こさないためにも、「片方の言い分だけを聞くことが危ない」と認識すべきである。「女性だから被害者に違いない」と決めつけたり、片方が「被害を受けた、傷ついた」というと、それを無条件に信じ、その側に立つということに注意が必要である。双方の言い分を聞き、ちゃんと文脈など全体をみて判断すべきである。 

何度も言うように、当初は力を回復するために、被害者には無条件に寄り添う支援が必要であるが、いつまでも被害者が「被害者」という錦の御旗を得て、何をいっても「被害者=正義」として支持してもらえる、というのは、総合的な解決に向けては障害になってしまうことがあると認識すべきである。第3者的な支援者・専門家には、DVと類似の構造において被害者が加害者的にならないように、カップル単位的な視点を修正させ、適切な支援をしていく高度な対応が求められていると言えよう。 

結論は、支援において、暴力を絶対的に批判し、被害者支援の目的を保持しつつも、加害者に対しても被害者へのそれと同じく、人格を尊重し、その努力を認め、変化(やり直し)の機会を与え、寛容な姿勢をもつことが重要であり、また、被害者に対しても、無条件になんでも肯定するのではなく「弱者の権利の乱用」「被害者権力」にならないような配慮が必要ということである。 

人を許し、違いを受け入れることを忘れず、対立している両者や被害者、加害者両方の主張に耳を傾け、総合的に判断し公平・寛容にかかわることが、被害者支援としても、真の解決のためにも重要ということである。 


***
[1] キャンセル・カルチャーとは、主にネット上で、ある人物の問題点(過去の言動含む)をかなり強く批判し、それを理由に社会的に追放する排斥の形態(地位を失わせるなど)、そういう運動や風潮のこと。

[2] コールアウト・カルチャー( call-out culture)または アウトレイジ・カルチャー(outrage culture)とは、ある人物や集団の言動の問題点を指摘し、個人や集団に説明責任を負わせること、過ちを徹底的に糾弾すること、SNSの投稿やツイートを撤回したり削除したりすることを要求することなどである。

[3] リティカル・コレクトネス(political correctness)とは、社会の特定のグループのメンバーに差別感、不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策や言葉の言いかえなどを表す運動の総称で、政治的妥当性とも言われる。その後、この言葉は、政治的に正しい主張をうっとおしいとする「保守派、右翼、反フェミのネット民」などの感覚から、人権派や左翼的意見、多文化主義、ダイバーシティ等を馬鹿にする文脈でよく使われるようになっている。類似の言葉に「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー( social justice warrior、社会正義戦士)というものがあり、これも軽蔑的なニュアンスで使われることが多い。

[4]ゲーム内での女性差別的な表現が多くあることをめぐって、それを擁護する人と批判するフェミニストなどの間で起こった様々な論争のこと。ゲーム業界での女性差別や女性いじめ議論のほかに、メディアとゲーム業界が癒着している問題、広告をだした企業の責任、ネット叩きはいじめではないのか、など多様な論点で様々な意見が飛び交っている。

[5] 映画『標的』は、1991年に元慰安婦の証言を記事にした元朝日新聞記者・植村隆が、23年後に「捏造記者」などと汚名を着せられ、本人のみならず家族までもが理不尽なバッシングにさらされたことに抗い、その支援者たちと共に真正面から立ち向かう姿を記録したドキュメンタリー映画である。これもネットの誹謗中傷・キャンセル・カルチャーの表れのひとつである。

[6] 国際政治学者の三浦瑠麗は、「人間社会には100%潔白で公明正大な人などというものは存在しないにもかかわらず、自分の側が正義だと思えば、自分の醜さや悪意に気づかずに、あるいはそれに向き合うことなく、相手に人差し指を突きつけることができる」ので、キャンセル・カルチャーは危険である、それは、異端審問または文化大革命のときの自己批判の手法と同じで、人間が積み上げてきた文明や叡智を消し去ってしまう、圧力をかけて相手に差異化を放棄させることは、知性を放棄させることに等しいと主張している。(三浦瑠麗「キャンセル・カルチャーはなぜ危険なのか キャンセル・カルチャーは異端審問」「プレジデント」 2021年1月29日号

[7] Bostock, Bill (2019年10月30日). “Obama laid into young people being 'politically woke' and 'as judgmental as possible' in a speech about call-out culture”. Business Insider  (2022年5月18日閲覧。)、「オバマ前大統領、ネット上の過激な批判カルチャーを非難『世の中は変わらない』」(Ryan Bort |2019/11/01) 、「オバマも懸念する"woke"な若者たちの「キャンセルカルチャー」」(週プレNEWS 2019年11月25日)などより。

 

映画・ドラマ

 

韓国ドラマ『緑豆の花』について: 

主流秩序への向かい方を韓国ドラマと重ねて考察した原稿がある。「『緑豆の花』と主流秩序――「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の話」という長い文章をネット(2021年4月30日「ソウルヨガ」ブログ)に掲載している。「負ける戦いはしない」「結果がすべて」「保身が大事」ではなく、「勝てない側(敗ける側)にしか見えない景色」を人生に見るという話を書いている。 

韓国TVドラマ『緑豆の花』と主流秩序 - ソウルヨガ (hatenablog.com)[29] 

 


映画監督・脚本家: 

映画やドラマでは脚本が最も重要と考える。マイケルムーアやケン・ローチの作品に共感。その他、個人的嗜好として、『ビフォア・サンセット』などのリチャード・リンクレイター、『チャングムの誓い』などのイ・ビョンフン、『恋する惑星』などのウォンカーワイ、「マンハッタン」などのウッディアレンなどを好む。 韓国では「マイディアミスター私のおじさん」の脚本家パク・ヘヨン 。

日本の脚本家では山田太一が最高で、倉本聰も骨太で、今なら『ひよっこ』「姉ちゃんの恋人」の岡田惠和、坂元裕二(「カルテット」「それでも生きていく」「Mother」「最高の離婚」)、橋部敦子(「僕の生きる道」シリーズ、「僕らは奇跡でできている」『知ってるワイフ』)などもおもしろい。 

。 


好きな韓国ドラマ 

①  マイ・ディア・ミスター わたしのおじさん [30] 

②  チャングムの誓い 

③  緑豆の花 

④  ボーイフレンド 

⑤  椿の花 咲くころ 

⑥  ロマンスは必然に~先にキスからはじめましょうか 

⑦  ピノキオ 

⑧  空港への道 

⑨  馬医 

⑩  スカイキャッスル 

⑪  砂時計 

⑫  キリ : 労働運動の崇高な精神と悲哀を描いた「錐(きり)」 [31] 

⑬  根の深い木 

***** 

その他 

『逆賊 民の英雄 ホンギルドン』 [32] 

「黄金色の私の人生」 [33] 

『僕たちは希望という名の列車に乗った』 [34] 

日本とドイツの映画=社会のレベルの違いーー『新聞記者』と『はじめてのおもてなし』 [35] 

著書

 
·       性差別と資本制 シングル単位社会の提唱 啓文社 1995(大阪経済大学研究叢書) 
·       樹木の時間 もう鼻血も出ねぇ! 啓文社 1997.12 
·       21世紀労働論 規制緩和へのジェンダー的対抗 青木書店 1998.2 
·       シングル単位の社会論 ジェンダー・フリーな社会へ 世界思想社 1998.4 
·       シングル単位の恋愛・家族論 ジェンダー・フリーな関係へ 世界思想社 1998.4 
·       21世紀労働論 ―― 規制緩和へのジェンダー的対抗 青木書店 1998 
·       シングル化する日本 洋泉社・新書y 2003.4 
·       スピリチュアル・シングル宣言 生き方と社会運動の新しい原理を求めて 明石書店 2003.4 
·       はじめて学ぶジェンダー論 大月書店 2004.3 
·       続・はじめて学ぶジェンダー論 大月書店 2006.3 
·       これからのライフスタイル 大月書店 2007.2(仕事の絵本) 
·       「まだ結婚しないの?」に答える理論武装 光文社新書 2008.7 
·       デートDVと恋愛 大月書店, 2010.11. 
·       ストップ!デートDV 防止のための恋愛基礎レッスン 解放出版社, 2011.11. 
·       閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ (アットワークス、2015年4月) 
·       デートDV・ストーカー対策のネクストステージ (解放出版社、2015年) 
·       超リアルなストーカー対処策を考える――ストーカーに対処するために知っておいたほうがいい、恋愛・別れの考え方と制度と法律の使い方(電子書籍、2015年6月) 
·       続 デートDV・ストーカー対策のネクストステージ (電子書籍2015年5月、増補・オンデマンド印刷書籍&電子書籍、2019年3月) 
·       いかに生きるかの具体的テーゼ340(2016年1月、電子書籍Kindle版、2020年5月増補・オンデマンド印刷書籍&電子書籍) 
·       こんなひどい社会の中で、それでもちゃんと生きていく方法――主流秩序論2冊のエッセンス+学生さんの自己洞察(電子書籍2016年1月、増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍 2020年5月) 
·       主流秩序と労働―――高賃金、安定の正社員、結婚を目指すような労働運動ではなく(kindle電子書籍、2017年8月発行、増補・オンデマンド印刷書籍&電子書籍2020年5月) 
·       シングル単位のデートDV防止教育を広げよう ―― デートDV予防学 No.2 (Kindle、2019年5月、電子書籍& オンデマンド印刷書籍) 
·       シングル単位思考法でわかる デートDV予防学 (かもがわ出版、2018年12月) 
·       アドラー心理学で学ぶジェンダー論―――—主流秩序の視点からの新しいアプローチ (Kindle,2019年2月、オンデマンド印刷書籍&電子書籍) 
·       はじめて学ぶ主流秩序論 (Kindle,2019年2月 オンデマンド印刷書籍&電子書籍) 
·       デートDV/ストーカー蔓延の実態と背景(Kindle,2019年2月、オンデマンド印刷書籍&電子書籍) 
·       主流秩序社会の実態と対抗―――続・閉塞社会の秘密(Kindle、オンデマンド印刷書籍&電子書籍版 2020年6月、 電子書籍3分割版2015年12月) 
·       「DVと虐待」対策・改善提言2020 ―――― 野田市小4女児虐待殺人事件を契機にした、DV加害者更生教育の経験からの「DVと虐待」への提言レポート(Kindle, オンデマンド印刷書籍、2020年3月) 
·       戦争に近づく時代の生き方について―――戦争/ナショナリズム/暴力に対する、非暴力/主流秩序の観点(電子書籍 2016年3月、増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍2020年9月) 
・ ・『加害者プログラム実施における「加害者変容後の支援のあり方」について』(Kindle版電子書籍 2022年5月, ペーパーバック版2022年6月発行)

編著

 
·       セックス・性・世界観 新しい関係性を探る(編著)法律文化社 1997.12
·       いろんな国、いろんな生き方 堀口悦子共著 大月書店 2001.4(ジェンダー・フリーの絵本)
·       編著 日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―――バックラッシュへの徹底反論』(明石書店、2006年6月)・・・ 約半分を伊田が執筆
·       貧困と学力 岩川直樹共編著 明石書店 2007.8(未来への学力と日本の教育)
·       〈働く〉ときの完全装備 15歳から学ぶ労働者の権利 橋口昌治,肥下彰男共著. 解放出版社, 2010.9. 
·       新版 <働く>ときの完全装備──15歳から学ぶ労働者の権利 (解放出版社、2016年) 
·       「主流秩序にいかに向かうか―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破」(主流秩序論NO6、2016年3月、電子書籍Kindle版、アマゾン) 
·       『主流秩序にいかに向かうか(2)―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(2016年3月、電子書籍アマゾン) 
·       『主流秩序にいかに向かうか(3)―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(2016年6月、電子書籍) 
·       ●『私はこの講義を受けるまで深く考えたことがなかった―――主流秩序と私』(学生本NO4,電子書籍、2016年12月) 
·       『主流秩序・ジェンダー秩序の講義を受けて学生が本気で告白したこと―――A大学・ジェンダー論講義のレポート(学生本NO5)』(電子書籍、2017年3月) 
·       「主流秩序概念を使って自分を見つめたら―――学生さんの本NO6」(電子書籍、2017年3月) 
·       『主流秩序概念を知って見えてきたこと―――学生さんの本NO7』(2017年5月発行 電子書籍、アマゾン) 
·       『主流秩序概念を知って見えてきたこと―――学生さんの本NO8』(2017年6月発行 電子書籍、アマゾン) 
·       『主流秩序概念を知って見えてきたこと―――学生さんの本NO9』(2017年7月発行 電子書籍、アマゾン) 
·       『主流秩序概念を知って見えてきたこと―――学生さんの本NO10』(2017年7月発行 電子書籍、アマゾン) 
·       『主流秩序概念を学んで見えてきたこと―――学生さんの本NO.11』(2018年9月発行、電子書籍、アマゾン) 

論文など

 

「家父長的資本制と性差別構造」『大阪市大論集』第61号1990年 

「カップル単位からシングル単位へ」『情況』2巻10号、1991年 

「日本的経営・日本的労使関係と『労働の人間化』」(『経済学雑誌』91巻5・6号1991年) 

「労使関係の新段階モデルとしての企業的QWL管理――企業的QWL管理の労使関係に与える影響」(『経済学雑誌』92巻2号1991年) 

「ノンエリートにとってのQWL」『大阪市大論集』第64号1991年 

「ME化と女子労働」(竹中恵美子編『新・女子労働論』有斐閣1991年) 

「日本的生産システムとQWL」『大阪市大論集』第65号1992年 

「企業による『労働の人間化』管理の批判的検討――労使関係視点からの日本的経営批判」(『経済学雑誌』92巻5・6号1992年) 

「欧米におけるQWLの経験と『日本化』」『大阪市大論集』第69号1992年 

「女性の就業化の進展と介護問題への対応策」『高齢化と老後生計費・貯蓄をめぐる諸問題』近畿郵政局貯蓄部・委託研究報告書1992年 

「シングルを単位とする男女共生社会をめざして」社会主義理論政策センター『社会主義と労働運動』17巻7号1993年7月号 

「シングル単位論観点による社会保障制度・税制度の等の再検討」竹中恵美子編『グローバル時代の労働と生活』ミネルヴァ書房、1993年 

「家事労働論・序説――労働力の勝ちと家事労働」『大阪経大論集』第44巻5号1,994年11月 

「家族の社会的機能と女性」『部落解放』367号1994年 

「シングル単位論(1)」『龍谷大学経済学論集』33巻4号1994年 

「シングル単位論(2)」『龍谷大学経済学論集』34巻3号1994年 

「経済のサービス化の下での性別分離構造」(竹中恵美子・久場嬉子編『労働力の女性化』有斐閣1994年) 

「家事労働をめぐる『新論争』の時代」『大阪経大論集』第46巻4号1995年11月 (大沢・中川論争の両方を批判する観点からの展開) 

「私の女性学教育の試行錯誤」「女性学に労働問題をどう位置づけるか」『女性学教育ネットワーク95』1995年所収 

「『介護保険構想』と当事者主体」『ジョイフル・ビギン』NO.3現代書館1995年3月 

「『パート労働問題』とは何か」 『大阪経大論集』第47巻1号1996年5月 

関西でのウーマンリブとフェミニズムの動向」大阪社会運動協会編『大阪社会労働運動史』第7巻所収、1997年 

「家族単位社会が生みだすパート労働問題」『女性労働研究』34号1998年 

「買売春問題への私の態度」『女たちの21世紀』16号、1998年10月 

「シングル単位社会の可能性」『AERA Mook:家族学のみかた』1998年7月、 朝日新聞社 

「『主婦の復権』をめぐって:ジェンダーを誤解し家族単位思考に毒されている」 『論座』1998年8月号、朝日新聞社 

「日本のパート労働の特徴とその劣悪状況の原因分析:欧州との比較および家族単位批判アプローチの観点から」『大阪経大論集』49巻第5号1999年 

「労働の規制緩和がもたらすもの:労働システム再構築の課題」『大阪経大論集』49巻第5号1999年 

「スピリチュアル・シングル――生き方と社会運動の新しい原理を求めて  ――」『大阪経大論集』50巻第1-3号1999年 

「スウェーデンの男女平等――その歴史、制度、課題」『大阪経大論集』50巻第1-2号、1999年 

「スウェーデンはなぜ男女平等の社会になったか」池内靖子・二宮周平・姫岡とし子・武田春子編著『21世紀のジェンダー論』晃洋書房所収、1999年 

「未来派シングル単位宣言」(およびQ&A)『週刊金曜日』99年9月3日号 

「スピリチュアル・シングルは21世紀の永久革命である」『ACT』99年10月25日号 

「スウェーデンから学ぶもの――個人単位政策によって男女平等を達成した新福祉国家」『女性労働研究』37号(2000年1月) 

「ジェンダー・エシックスの自覚からシングル単位思想の獲得へ」杉本貴代栄編著『ジェンダーエシックスと社会福祉』ミネルヴァ、2000年10月 所収 

「パートタイマー」「パート労働法」「家内労働」「育児・介護休業法」「人材派遣法」「ILO156号・家族的責任条約」部落解放・人権研究所編『部落問題・人権事典』解放出版社、2000年 

「専任の立場から」大学非常勤講師問題会議編『大学危機と非常勤講師運動』こうち書房2000年 

「シングル単位で考える魂ふれあう性のあり方」『週刊金曜日』2000年 

「<シングル単位>から結婚制度を斬る!」『性と生の教育』26号 2000年1月 

「21世紀のジェンダー論 ①―④」、季刊『SEXUALITY』1-4号、エイデル研究所発行2001年 

「フェミニズム戦略としてのシングル単位論」『女性労働研究』39号(ドメス出版)2001年 

「混乱を受け入れるビジョンをもとう」『賃金実務』(産労総合研究所)875号〔2001年3月1日号〕 

「オランダ・モデルをどう評価すべきか」『女性労働研究』40号2001年 

「シングル単位の家族・労働を考える」『家庭科』NO573・51巻2,001年8月 

「〈ぎりぎり〉の実践へ――自分の振り返りと現在とこれから」『大阪経大論集』53巻第5号2003年 

 https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_005_453-530.pdf 


「新しい人権論へ」 『大阪経大論集』53巻第2号20023年  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_002_059-093.pdf 


「新しい社会運動の模索――〈スピ・シン主義〉視点からの考察」『大阪経大論集』53巻第5号2003年  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_005_315-406.pdf 

「〈たましい〉が存在する場所――「混沌の闇世界」という領域への気づき」『大阪経大論集』53巻第6号2003年
https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_006_209-242.pdf

「〈スピ・シン主義〉的な個人の生き方を考える①-⑤」『大阪経大論集』53巻第6号―54巻4号2003年
①: https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_006_301-328.pdf 

 

②: https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_001_155-180.pdf 


③: https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_002_285-306.pdf 


④: https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_003_127-144.pdf 


⑤:  https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_004_313-322.pdf 


「ナショナリズム批判――〈スピ・シン主義〉の観点から」『大阪経大論集』54巻第1号 2003年
 https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_001_043-096.pdf 


「〈スピ・シン主義〉の思想的位置」『大阪経大論集』54巻第3号 2003年  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_003_025-063.pdf 

「結婚制度肯定論の批判的検討――望月嵩氏の伊田批判に対しての反論」『大阪経大論集』54巻第4号 2003年  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_004_247-266.pdf 

「シングル単位視点からみえる「結婚」と「恋愛」『家族社会学研究』第14巻2号2003年 

「もてない女」①~⑦ 連載『月刊あれこれ』あれこれ株式会社2003年 

「政治家っていったい何をしているの?――地方政治を内側から調べる」大阪経済大学地域政策学科編『フィールドワークのすすめ』法律文化社 2003年 

「地域政策のニューデザイン」大阪経済大学経済学部編『大阪の経済再生と地域の創生』法律文化社2003年 

「〈スピリチュアリティ〉概念をめぐる一考察」日本ホスピス・在宅ケア研究会・スピリチュアル部会編『スピリチュアルケアとスピリチュアリティ』(スピリチュアルケアテキスト第1集)2003年 

「受容・共感と簡単に言うが・・・」月刊『部落解放』2003年5月 

「私の反戦=非戦の論理」『情況』2003年8・9月号、情況出版 

「労働者の新しい学び――労働教育ワークショップ」(共同執筆)『職場の人権』第24号(03年9月) 

「シングル化社会の行方とわたしたちの対応――〈スピリチュアル・シングル主義〉的発想から」『経済科学通信』2003年 

「やむにやまれず動き出す、スピリチュアルな人」『Volo(ウォロ)』2003年12月号 

「受容・共感と簡単に言うが・・・」『部落解放』518号2003年 

“Part-time work in Japan: An approach to explaining the inferior status of part-time workers” Carl le Grand and Toshiko Tsukaguchi-le Grand eds. “Women in Japan and Sweden: Work and family in two welfare Regimes”Almqvist & Wiksell International, Stockholm (2003) 


「スピリチュアルケアをめぐる議論を見渡す」『大阪経大論集』54巻第5号 2004年
 https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_005_333-364.pdf

「自殺防止活動とスピリチュアルケアについて」『大阪経大論集』54巻第6号2004年 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_006_117-155.pdf
「スピリチュアルに生きる人々①~⑧」『大阪経大論集』54巻第5号~55巻6号 2004-2005 [56]

 ①: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_005_439-455.pdf 

 ⓶: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_054_006_233-249.pdf 

③: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_001_243-253.pdf 

④: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_002_161-168.pdf 

⑤: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_003_191-203.pdf 

⓺: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_004_097-109.pdf 

⑦: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_005_057-067.pdf 

⑧: 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_006_225-238.pdf 



「家族にすがらないと生きていけない経済からシングル単位の経済へ」アジア女性資料センター機関誌『女たちの21世紀』 No.37、2004年3月 

「ジェンダーフリーとシングル単位論への疑問・批判を考える」『大阪経大論集』55巻第1号(2004年5月)  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_001_091-115.pdf 

「家族とジェンダー」アジア女性資料センター人権ワークブック作成委員会編[2004]『ジェンダーと人権ワークブック』アジア女性資料センター発行 

「幸福な生き方、充実した生き方について」『大阪経大論集』55巻第2号(2004年7月)  

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_055_002_081-107.pdf 

「スピリチュアルケアをめぐる論点」、日本ホスピス・在宅ケア研究会・スピリチュアル部会編『スピリチュアルケアの理解を深める』(スピリチュアルケアテキスト第2集)2004年 

「『長いもの』解体の一歩へ:性同一性障害、特例法にあえて功を見る:家族像の“標準”根強いが……」『朝日新聞』2004年7月29日夕刊 

「Japanese Women in their 30’s : Change and Traditional Values」『DAWN』2004年12月号 

「書評 ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの:情熱の政治学』」 日本女性学会誌『女性学』12号 2005年3月発行 

「私にとってのアンペイドワーク論」 姫岡とし子・池内靖子・岡野八代・中川成美編『労働のジェンダー化――性による労働の再編成』平凡社 所収2005年 

「NHK番組改ざん問題の背後にあるもの――スピリチュアリティはどこに立ち現れるのか」『情況』2005年4月号 

「『フェミ嫌い』の論理あるいは気分・無意識に対する私の語り方」『唯物論研究』93号、2005年夏、(「性に向かい合う哲学」特集) 

「フェミを見切っているつもりのあなたへ――フェミニズムの魅力」『現代の理論』5号 2005年10月発行 

「ジェンダー視点から「新自由主義への対抗」を考える――シングル単位型の社民主義へ」『季刊ピープルズ・プラン』第32号(2005年秋号) 

「家族のあり方とジェンダー・フリー・バッシング」木村涼子編『ジェンダー・フリー・トラブル―――バッシング現象を検証する』白澤社、05年12月発行 

「ケアについて」日本ホスピス在宅ケア研究会スピリチュアルケア部会編『テキスト スピリチュアルケア』NO3 

「暮らし方/働き方にジェンダーの視点を入れるということ」 労働教育センター編集部・編『ジェンダーバッシングを超えて』(女も男も――自立平等――NO107)労働教育センター発行2006年 

「バックラッシュ状況とジェンダー概念」女性労働問題研究会編『女性労働研究』NO50(青木書店)2006年7月 

「攻撃的であることを見直す」「ジェンダーフリー・バッシングの言説」ジェンダー・学び・プロジェクト編集『ジェンダーの視点から社会を見る』(解放出版社、2006年10月) 

「ジェンダーをめぐる言説を振り返る」『ヒューライツ』NO221 2006年8月 解放出版社 

「福祉の国ではどんな暮らし方? 働き方? ~北欧から学ぶ「個人単位型多様性擁護社会」:セクシュアルライツ先進国~」世界人権宣言大阪東地区連絡会議編集・発行『THE じんけん 2004』2006年3月 

「フェミニストの一部がどうしてジェンダーフリー概念を避けるのか」若桑みどり・他編著『「ジェンダー」の危機を超える! 徹底討論!バックラッシュ』青弓社、2006年8月 

ジェンダー重視時代の新しい政治」畑山敏夫・平井一臣編『新 実践の政治学』法律文化社 2007年2月発行 

「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題」(1)大阪経済大学『人間科学研究』第1号(2007年4月) 

「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題(2)」 大阪経済大学『人間科学研究』第2号(2008年3月) 

「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題」(3)大阪経済大学『人間科学研究』第3号(2009年3月) 


「“エリートでない者”がエンパワメントされる教育」岩川直樹・伊田広行編著 『貧困と学力』明石書店2007年 

「伏見憲明『欲望問題』(ポット出版 2007年)の検討―――差別問題を否定せず、スピリチュアルなレベルの差別問題に発展させていこう」イダヒロユキHPhttp://www.geocities.jp/idadefiro/fushimi.html 掲載(2007年3月) 

「書評 ベル・フックス『とびこえよ、その囲いを』 」日本女性学会編女性学』2006・VOL.14(2007年4月発行) 

「インタビュー 伊田広行さん『ワーク・ライフ・バランスは女も男も、殿年代の人にも必要なものなのです』」『女性の働き方・暮らし方ガイド(ワーク・ライフ・バランス)2008』自由国民社(2007年5月発行) 

「伊田広行氏講演会記録」東京女子大学文理学部社会学科『東京女子大「女性学・ジェンダー視点に立つ教育展開:2006年度活動報告集』(2007年) 

「ジェンダーと貧困――DVを中心として 」宇都宮健児・湯浅誠編『反貧困の学校――貧困をどう伝えるか、どう学ぶか』(明石書店,2008年10月) 

「私は大学組織・学者世界に「就社」したかったのではない―――私はどこで何を模索しているのか(僕が大学を辞めたわけ)」『季刊ピープルズ・プラン』第43号(2008年夏号)「「恋愛と顔」=「カップル単位・ジェンダー秩序」に執着していたことの不幸――秋葉原事件の検討から」『季刊セクシュアリティ』41号2009年春 

「対価を得ない形も含めて、ケアの保障をしよう―――「感情労働」の社会的評価としてのワーク・ライフ・バランス」(「感情労働のマネジメントの調査研究事業」報告書)「ケアの仕事をする人のケア ――感情労働を問いなおす」2009年所収 

「反貧困の視点から、お仕着せのワーク・ライフ・バランス論を斬る」『職場の人権』09年5月/第58号 

「シングル単位」 神原文子・他編『よくわかる現代家族』(ミネルヴァ書房) 所収 

「『メディアに飲み込まれ管理された矮小な存在』から脱出する"労働”へ――ジェンダー秩序の視点も入れて」『唯物論研究』09年9月号 

「私の反天皇制的生き方――ジェンダー、“女性の貧困”、プレカリアートの反貧困運動」『飛礫(つぶて)』64号09年秋発行 

「書評『格差論二冊』 川口章『ジェンダー経済格差――なぜ格差が生まれるのか、克服の手がかりはどこにあるのか』橘木俊詔『女女格差』」日本女性学会編『女性学』VOL16、2009年3月発行 

「ベーシック・インカムについて――生活保護制度の拡充型のベーシック・インカムへ」『職場の人権』2010年5月/第64号 

「ベーシック・インカムの議論で浮わつくべきでない」『季刊ピープルズ・プラン』第51号(2010年夏号) 

「経済成長に依存しない社会モデルを!」『人民新聞』2010年6月25日号 

「すべての子どもたちに『労働者の権利』教育を」労働教育センター刊『女も男も』117号(2011年5月)特集「新しい『キャリア教育・職業教育』を創る」 

「えっ、私たちの恋愛もデートDV?」(京都光華女子大学・人権委員会主催講演会記録) 『京都光華女子大学人権教育資料 別冊』2011年3月発行 

「貧困時代の性の学力」 性教協編『季刊セクシュアリティ』52号(2011年7月) 特集 「セクシュアル・ライツ/性の人権」 

「しんどい時代の生き延び方」 (『職場の人権』2013年3月/81号12年11月例会報告) 

「京都市デートDVに関する実態調査の意義」京都市男女共同参画推進協会編集『デートDVに関する実態調査』(2012年3月、京都市発行)所収 

「大学生活のスタートに知って得する労働のリアル」(しまね女性センター編『学生のためのライフデザイン支援講座 記録集』(平成23年度 学生向けライフデザイン支援事業:島根県立大学)2012年3月 

「〈働く〉ときの完全装備――働く前に考えておくこと」 『キャリア・労働とジェンダー』愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所、2013年3月 

「性暴力被害者の声に耳を傾けず主流秩序にいなおる森美術館」ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』(不磨書房、2013年)所収 

「書評 『DV加害者が変わる』」『女性学』21号、新水社、2014年 

「『デートDVに関する意識調査」分析と意見」 京都市男女共同参画推進協会編集『京都市 デートDVに関する意識調査』(2014年3月、京都市発行)所収 

「貧困と性的暴力と性的商品被害」性教育教育研究協議会編『季刊SEXUALITY』№73、2015年10月 

「デートDVを考える ―-愛は全てを受け入れること?――」(大阪弁護士会・人権擁護委員会主催、2014年9月5日講演記録)弁護士研修講座講義録 №21 

「私と本との出会い」 宝塚「エル・コンパス 26号」2015年3月発行 

「DV加害者教育プログラムを巡って考えるべきこと」SEAN2015年原稿(「性意識調査」の報告書の中の一部) 

「性にかかわる暴力をなくしていくためには」『部落解放』2016年6月号 特集 「ジェンダー平等の今」 

「シングル単位 男女平等運動と女性の貧困」『女たちの21世紀』87号、2016年9月 

「デートDV防止教育の次の課題 〜 加害者も被害者も作らない心地よい関係」「「被害者支援の一環としてのDV加害者プログラムとは~警察庁・内閣府の対応を見据えた実践を考える~」 『全国シェルターシンポジウム2016in大分分科会報告書』2017年3月 

「別れの教育の必要性」 ストーカー事案再発防止研究会編(京都府警) ストーカー事案再発防止研究会報告書」2017年11月所収 

「DVと面会交流――面会交流で子どもを殺した伊丹事件に関連させて」2017年イダヒロユキブログ掲載 

「対セクハラ戦略を練り直す」(月刊誌『教育』かもがわ出版2018年11月号所収) 

「DV加害者更生教育の意義」(滋賀県人権センター発行『じんけん』2018年11月号所収) 

「自立概念の豊富化――依存の美化の危険性」立命館大学生存学研究センター『立命館生存学研究』VOL.2(2019年3月) 

「脱暴力プログラムの受講命令を制度化すべき時代」 吹田市立男女共同参画センターデュオ編集発行『男性問題から見る男女共同参画――ジェンダー平等の実現と暴力・DV根絶に向けて(令和元年度 吹田市男女共同参画センター調査研究報告書)』(2020年10月発行)所収 

「主流秩序を意識した性教育へ」(『季刊セクシュアリティ』2021年 101号所収) 

「『緑豆の花』――「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の話」(イダブログ「ソウルヨガ」2021年 

「女性の人権――ジェンダーにかかわる人権」「さまざまなハラスメント」(『身近に考える人権』髙井由起子編著、ミネルヴァ、2022年) 

翻訳


 
デボラ・ミッチェル『福祉国家の国際比較研究』共訳(啓文社、1993年)